金沢星陵大学女子短期大学部

学長室の窓から

「それぞれの青空」

2月25日

2021.2.15の「学長室の窓から」では、「Sei-Tan Act!」で一里野スキー場へ出かけたことをお話ししました。その日は晴天で、ゴンドラ山頂からは白山の峰々や日本海も一望できました。「なんて綺麗な空!」と学生たちも感動の面持ち。100年前に大乗寺山でスキーをした当時の第二高女腰野美代子さんも、同じ言葉を漏らしていたこともご紹介しました。
 
どちらかといえば、太平洋側で育ち、埼玉で長く暮らしていた私は、関東平野の冬の夕暮れが大好きでした。乾燥したからっ風がびゅんびゅん吹いて空気中の塵を吹き飛ばし、真っ青な空に映える雪を頂いた富士山が、関東の庭先に多い竹ぼうきを反対に立てたような欅の木を従えて、夕陽に赤くシルエットを描きながら紫色に、やがて黒い闇に暮れていくグラデーションの美しさは、美に縁遠い私にとっても美しく思われました。(冬の関東平野でただ一つ苦手だったのは「静電気」のショックでしたが。)
 
もう十数年以上昔のことです。私は金沢のある大学女子バレーボール部の部長をしており、毎年12月初め、東京方面で開かれるインターカレッジに出かけておりました。久しぶりに真っ青な青空と太陽を目にして、学生たちに「これが本物の青空だよ」と嬉しそうに話したところ、意外にも学生たちからは不評でした。「肌が乾燥してひどい!」「なんだか元気までも吸い取られるようなきつい青空」「金沢の空のほうが本物だと思います」。
 
Sei-Tanの学生さんたちも、腰野美代子さんも、見たのは確かに冬晴れの青空なのですが、それは卵の殻の白さを混ぜたような柔らかい青色なのですね。湿潤な空気と相まって、女性のお肌、漆器の保湿にはいいのでしょう。同じ青空といっても、見る人それぞれに本物の青空があるのですね。それはとても大事なことだと思います。東京の空でさえ、智恵子さんは「東京に空が無いといふ、ほんとの空がみたいといふ。(中略)阿多多羅山の山の上に 毎日出てゐる青い空が 智恵子のほんとの空だといふ」(高村光太郎(1941)「智恵子抄」)と懐かしんだのでした。