金沢星陵大学女子短期大学部

学長室の窓から

「10年目の3・11に寄せて」

3月5日

まもなく2021年3月11日。あの未曽有の東日本大震災から10年目を迎えます。三陸、福島、盛岡などに知人・友人を持つ東北ゆかりの私は、津波や原発事故に至るまで、この日を忘れたことはなく、今に至るまでさまざまな思いを複雑に抱えながら、改めてこの日を迎えます。
 
宮城県南三陸町(旧志津川町)は、風光明媚な志津川湾に面した人口1万7千人余りの漁業と観光の町。2011年の巨大津波で市街地がほぼ壊滅、831人の犠牲者が出ました。友人が地元高校の教師をしていた縁もあって、それまで何度か訪れたことがあります。夏は海水浴、夜はホヤ、ウニ、銀鮭等、海の幸を堪能した思い出の地でした。
 
震災翌年、2012年の夏、友人の案内で、慰霊かたがた、石巻市大川小学校、南三陸町などを訪問しました。土台だけが残るあちらこちらの集落の跡地に呆然と立ちすくみ、どれだけの涙を流したことでしょう。
 
南三陸町では高台にあった町の中学校、高校のグラウンドにはわずかの運動場スペースを残して、びっしりと仮設住宅が立ち並び、眼下には津波に襲われた廃墟の町が広がっておりました。海や川、かろうじて残った病院等の建物、背後の山並などの風景に見覚えがありましたから、市街が津波に飲み込まれる衝撃的なニュース映像シーンはここから撮影されたものだったのでしょう。
 
街へ下りていくと、瓦礫に埋もれ、鉄骨がむきだしになった3階建ての町防災対策庁舎がそのまま残されておりました。屋上を超える津波に襲われたこの役場は、奇跡的に10人が助かったのですが、30名の職員を含む43人が犠牲になりました。その43人の中に、遠藤未希(えんどう みき、当時24歳)さんがおられます。
 
地元の高校を卒業し、仙台市内の専門学校に入学。20歳の時に地元の町役場に採用され4年目を迎えたばかりでした。2011年9月10日には、結婚式を挙げる予定だったそうです。町の危機管理課職員として防災無線を担当。あの日は「大津波警報が発令されました。早く、早く、高台に避難してください」と町民に避難を呼びかけ続けたといいます。「あの時の女性の声で無我夢中で高台に逃げた」と町民が語るように、大勢の人々の命を救ったのです。しかし自らは助かることはできませんでした。その使命感や責任感、人への思いやり、社会へ貢献する心への感謝と敬意に、私は胸がつぶれます。遠藤さんの希望に満ちたこれからの人生が突然断ち切られたことの不条理、無念さを思い、私は10年目の今も痛哭の涙をぬぐえません。
 
福島原発は、貧しい浜通り一帯に明るい未来をもたらす新しい産業として誘致されたものでした。その福島第一原発は、3・11の地震と津波によって、すべての冷却電源を喪失したのでした。世界はもう収拾不可能と見て、チェルノブイリ以上の大惨事を予測、東京からの脱出を指示した国もあったことを皆さんご記憶でしょう。しかし、現場に踏みとどまり、電源復旧と冷却に取り組んだ「福島フィフティ」はじめ、ヘリコプターで空からの冷却注水を行った自衛隊員、全国から放水活動に駆け付けた消防隊員の奮闘で、チェルノブイリ級の大惨事はかろうじて免れることができました。
 
全国自治体からの応援職員、医療従事者、大勢のボランティアなどの総力を挙げた支援があったことも忘れてはなりません。震災後、1年以上にわたって、被害者の救助や行方不明者の捜索、復旧活動に当たった、関西や九州ナンバーの全国各県警や自衛隊の車列や隊員の姿を、北陸自動車道パーキングエリアなどで目にいたしました。そのたびごとに、私は感謝と有難さで、深く低頭し、手を合わせずにはおられませんでした。
 
災厄の時、自らの命を優先し、普通ならみんな逃げ出してしまう局面においても、自分の持ち場を離れずに与えられた職責を全うする人々がおられるのですね。遠藤未希さんもそのようなお一人でした。2020年3月時点の東日本大震災の死者数は1万5899人(警察庁)。この中には知られざる多くの遠藤未希さんがいらっしゃるのだと思います。
 
この10年。私は学会等で台湾や韓国などの国々を訪れた際、機会あるごとに必ず2011年東日本大震災時に寄せられたお見舞いと支援に対して、御礼を述べ、そのことを将来も忘れない。いつかお返しをする機会があったら、We are with you! と馳せ参じたいとスピーチをしてきました。
 
2020年度卒業予定のSei-Tanの女子学生たちの中に延13名の国家・地方公務員合格者がいます。りっぱな成果だと私も誇らしく思います。先日「私も公務員志望です」という1年生の学生さんと話す機会がありました。「なぜ公務員を志望するのですか」と尋ねたところ、「正直自分でもよくわからないのです。安定しているのも魅力なのですが…」と率直に吐露してくれました。それはやむを得ないことなのです。遠藤未希さんの話を語り、公務員として、彼女が果たすことできなかった将来の夢までも、それぞれ実現していってほしいと伝えるのは、私たち教師や大人の役割なのですから。
 
東日本大震災から10年目の祈りです。合掌!