金沢星陵大学女子短期大学部

学長室の窓から

「『飛ぶ教室』に思う」(その1)

7月6日

「良い本を読んだなあ」と心から嬉しくなる時があります。今回はエーリッヒ ケストナー『飛ぶ教室』(1933年)。子どものころに読みましたが、最近読み直して改めて感動。そこで“Das fliegende Klassenzimmer”ドイツ語原本に挑戦してみました。ただ私が入手したのは2015年にコペンハーゲンで出された簡略版。前書きや後書きが省かれ、表現も簡略化されているなど、ちょっと物足らなさもありましたが、まあ私の拙いドイツ語力では十分手ごわい。池内紀(いけうちおさむ)さんの名訳(2014年の新潮文庫版)を片手に、少しずつ読み進めました。ギムナジウム(中高)の寄宿舎暮らしをする少年たちの喧嘩、いたずら、涙あり、笑いありのてんやわんやの生活とそれを優しくも厳しく見守る教師たちの姿を描いています。
 
クリスマス休暇を前に、主人公マルティンに母親から手紙が届きます。父親が失業し、帰省する旅費が工面できなかったのです(10章)。友人たち皆が出かけ、静かになった雪の校庭にぽつんと彼の足跡が…。その足跡に気づいたベク先生がたどると、そこには「泣くのは厳禁」(Weinen ist streng verboten!)とこらえているマルティンが。先生からのプレゼントで、彼もようやく両親のもとでクリスマスを祝うことができたのでした(11章)。年を取って涙もろくなった私は、この10章・11章で、「Weinen ist streng verboten!」と自分にも言い聞かせながら、やはり毎回涙腺崩壊です。
 
「飛ぶ」、fliegendeは英語だとflyingのことです。不思議なことばです。ワーグナーに「フライング・ダッチマン」(さまよえるオランダ人)というオペラがあって、この世と煉獄の間をさまよう幽霊船の意味だとか。
 
つまり、子どもから大人の間をさ迷いながら成長する少年たちの学校の様子と内面を描いたビルドゥングス・ロマン(成長の様子を描いた小説)なのです。この「飛ぶ」(途方にくれながらさまよう)時期、ベク先生のような大人が果たす役割は重要です。
 
大学生にあってもこの構造は基本的には変わらないと思います。私たちはベク先生になれるでしょうか。