金沢星陵大学女子短期大学部

学長室の窓から

「クーベルタンのオリンピズム(その1)『知の飛翔』」

7月25日

2021年7月23日、第32回近代オリンピック・パラリンピック東京2020大会の開幕ですね。近代オリンピックといえば、1896年に第1回近代オリンピック・アテネ大会を創始したフランスのクーベルタン(1863-1937)男爵を思い起こす方もおられると思います。
このクーベルタン、実は教育者でした。そこでクーベルタン先生のオリンピック哲学「オリンピズム」の中から、これまで知られていなかった教育学的理念のいくつかをとりあげて、考えてみたいと思います。
 
皆さんご存じのように、19世紀後半から20世紀にかけての時代は、科学技術の発達、産業の興隆、学校教育の普及によって、人々の知識は増大し、社会はよりめざましく進歩すると思われました。ところが、現実の世界は対立と戦争に明け暮れる世紀となってしまいました。なぜなのでしょう。クーベルタン先生は、諸科学の発達によって、細分化・専門化された膨大な知識の山が、逆に人間を自分の殻に閉じ込め、そこから生まれる人間相互の無知・無理解が嵩じて戦争を引き起こしたのではと考えました。
 
例えば、町の地名や通りの名前をいくらたくさん知っていても、全体の地図が頭の中に入っていなければ、道に迷います。経典をたくさん暗記していても、それらの体系的な活用の道を知らなければ、悟りを開くことはできません。ただの物知り、コンピュータも同様です。
 

筆者撮影、大いなる知の飛翔の始まり

地球の大きさが比喩的な意味で急速に縮まった、20世紀に求められる教養とは、細分化された専門的な知識ではなく、様々な関係性の中で全体を把握しようとする力。即ち世界を的確に俯瞰する力であるとクーベルタンは考えたのでした。1905年マックス・ウェーバーが『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』の最後に、資本主義の進展に伴う「精神なき専門人、心情なき享楽人」の増大に懸念を示したのと同様です。あるいは理性・感性を悟性のもとに統合させようとした哲学者カントなども同様の世界観・人間観を示しているといってよいかもしれません。
 
クーベルタン先生が、この教育課題の解決方法として考えたのは『知の飛翔』(aviation intellectuelle)という方法でした。険しい登山ルートをピッケル片手に時間をかけて一歩一歩登る従来型の知を積み重ねるやり方の上に、知識の山脈(やまなみ)を飛行機(当時の最新発明、今でいえば宇宙ステーション)からはるかに一望する中で、膨大かつ複雑な知識体系の全体像を短時間のうちに理解しようという方法でした。これによって身につけられる知識・教養は、新しい時代を担う若者たちの世界認識の力と直結するものであり、これによって世界の平和が保障されるとクーベルタンは考えたのでした。
 
 
クーベルタン先生、1896年の第1回アテネ大会直後、次のように書き残しているとのこと。
1.世界の紛争の種は他国への無知や誤解、偏見から生まれる。
2.したがって、世界の人々との相互理解を深めることが重要である。
3.近代オリンピックは国際的な相互理解を進める良い機会である。
 
宇宙船地球号の乗組員たちは、言葉や文化、習慣もさまざまに異なる多様な集団。それらの相互の無知・無理解が争いを引き起こしている。スポーツはそれらを超えた共通言語、飛翔する力強い知性の可能性を持ちます。一つの種目の世界チャンピオンを決めるワールドカップ大会と違い、オリンピックはさまざまなスポーツ種目に様々な人々が参集する国際的な相互理解のための舞台なのです。(続)
 
 
参考文献/
和田浩一「21世紀に生きるピエール・ド・クーベルタンのオリンピズム」(和田浩一ほか『体育・スポーツ・武術の歴史における「中央」と「周縁」』、道和書院、2015所収)