金沢星陵大学女子短期大学部

学長室の窓から

「エコノミック・アニマル」

9月25日

国際経営開発研究所(IMD)が発表する世界各国のビジネス環境をランキングする「世界競争力年鑑」というものがあり、1989年から1992年まで総合1位だった日本は、2020年版では、世界63ヶ国の国際商戦において、過去最低の34位だったそうです。ちなみに、1位はシンガポール、2位はデンマーク、3位はスイスだったとか(WEB「2020年版世界競争力ランキング」)。

かつて「エコノミック・アニマル」と呼ばれた高度経済成長期の猛烈な日本人国際ビジネスパーソンを知る世代には想像することのできない姿です。虎がおとなしい猫になったのですから、uneconomic animal、「猫のミック・アニマル」と勝手に名付けています。もちろん私は「猫のミック・アニマル」を否定的にばかりは考えていないのです。むしろ、21世紀にフィットした経済や社会の在り方と人々の生き方を象徴的に表す言葉として用いたらどうかとさえ思っているのです。

筆者撮影、地球上で最も狂暴な動物 それは?

ところで、Sei-Tanの学生さんたちの若い世代は「エコノミック・アニマル」といってもピンと来ないかもしれません。もともとは1965年、パキスタンのブット外相が、アジアアフリカ会議の場で用いたのが始まりとされています。国際的なビジネスの場面において、日本人は、得てして自分や会社のことばかりを考え、利己的に振る舞い、ひたすら経済的利益を追求するさまを皮肉った呼び方と受け止められてきました。日本国内ではちょうど1964年に東京でオリンピックが開かれ、1970年の大阪万博に向けて、さらなる高度経済成長に突っ走ろうとしていた時期です。アニマルですから、人間らしい優しさや愛情、宗教、文化や哲学への理解が伴わない儲け第一主義の動物みたいな経済人間という軽蔑の言葉だと受け止められてきました。

けれど、元外交官だった多賀敏行「『エコノミック・アニマル』は褒め言葉だった」(新潮新書、2004)を読んでびっくり。「エコノミック・アニマル」は実は褒め言葉であったというのです。「例えば、イギリスの偉大な政治家であったチャーチルはよくポリティカル・アニマル(political animal)と言われたそうですが、これは、政治にかけては才能がずば抜けているという意味なのと同様、『日本人はエコノミック・アニマル』というのは、『日本人はこと経済活動にかけては大変な才能があるので、日本は将来りっぱな経済大国になるであろう』という意味」だというのです。
しかし、チャーチルが如何に卓越した政治家だからと言って、manではなく、animalを使うときには、弱肉強食に徹する酷薄非情な人物という揶揄の意味合いがないとは言えないのではないでしょうか。イギリスだけではありませんが、列強帝国主義国家の植民地政策はおしなべて苛烈極まるアニマリズムそのものでした。

高度経済成長期の日本の、アジアにおける国際商戦の一端を知るには深田祐介(1931-2014)『炎熱商人』(文芸春秋、1984、第87回直木賞受賞作品)がおすすめです。1970年代、中堅商社のマニラ事務所長が、現地の人々との信頼の上に新たな木材ビジネスを進めようとするのですが、次々と厳しい現実が…。しかもフィリピンは戦争の傷跡を色濃く残す地。第二次大戦当時の日本軍とフィリピン人との関わり合いを一方に、現代の国際商戦をもう一方に配し、炎熱の地に繰り広げられる壮大な経済・人物を背景にした近現代小説です。そこで重要だったのは、互いの道義心や思いやりの心、相手の宗教、文化、習慣、歴史へのリスペクトであり、それを欠いた時には利己主義、拝金主義に陥るという隠されたメッセージです。
新渡戸稲造(にとべいなぞう、1862-1933)も『武士道』(PHP文庫、2005※初版1899年)の中で同様なことを言っていますが、これについてはまた別な機会に取り上げます。

Sei-Tanは経営実務科ですから、現代のビジネス実務に必要な様々な知識・技能を皆さんに提供します。一つひとつを誠実に受け止めて学修してください。そして皆さんはアニマルやロボットではありません。一人ひとりがその土台に道義心や思いやりの心を持ち、自分が幸せになるとともに、自分以外の誰かが喜び、幸せになる(自利利他:社会に役立つ人間)という精神の背骨を真っ直ぐに通してくださるとうれしいですね。