金沢星陵大学女子短期大学部

学長室の窓から

「竹芝寺」

10月15日

昔々、今から千年以上前のこと。宮中宿直警備に当たる「衛士(えじ)」に出仕した東国の男(をのこ)がおりました。言葉も違っていたのでしょう。周りの同僚たちから何かと辛く当たられ、「どうして自分だけこんな目に…。国では、七つ三つも、作り据えた酒壺があって、その上にさし渡した柄杓(ひしゃく)代わりのひさご(瓢)が、南風吹けば北にたなびき、北風吹けば南にたなびき、西風吹けば東にたなびき、東風吹けば西にたなびく様子を眺めて楽しんでいたのに…」とぼやきながら、ひとり言をつぶやいていましたとさ。

宮中におられたお姫様、それを耳にし、御簾(みす)を上げ、「ひさごがたなびく様子をもう一度話してごらん」。

てっきりお叱りを受けるとばかり小さくなった男、恐る恐るもう一度歌ってお聞かせ申し上げところ、今度は「私をそこに連れて行って見せよ!」

何はさておき、姫様のお言いつけ。男は決心し、姫を背負って追っ手をまきながら、故郷まで逃げに逃げます。三か月後、ようやく追っ手が追い付いたのは武蔵の国、竹芝(現在の港区三田)。男を捕縛して、姫を連れ帰ろうとすると、お腹の大きくなったお姫様が申します。「私はこうなる宿縁だったのです。男の家を見たくて、連れて行けと命じたのは私なのですから…」。

この竹芝の男。お姫様や生まれたお子たちが幸せに暮らせるよう、武蔵という姓をもらってその国を任せられ、また家も立派に建て直してもらい、幸せに暮らしましたとさ。

筆者撮影、河原に生い茂る秋の野草(浅野川にて)

これは平安時代中期に成立したとされる、『更級日記』に出てくるお話です。作者菅原孝標女(すがわらのたかすえのむすめ)が、寛仁4年(1020)、父の菅原孝標が上総の国(現在の千葉県市原市近辺)の国司の任期を終え、共に帰郷した際、通りかかった武蔵の国での風景や出来事を綴った紀行文の中にある「竹芝寺」を、私が脚色したものです。

姫のロマンに対する決然とした意志と行動。最後は一家に示された、周囲の人々の愛情と寛容、度量の大きさを想い、私は高校の時に学んだこの話をいまだに印象深く思い出します。

時代とともに人も社会もよりよく進歩していくという素朴な近代的歴史観とは異なり、いつの世も愚かな所業こそが人間の真実であり、道理(ことわり)と見る古代ギリシャや日本の歴史観は、ことに文学の世界では魅力あるものに映ります。千年を経て、私たちは今一度『更級日記』「竹芝寺」に学んでよいかもしれません。全文は長いのですが、「竹芝寺」だけならばすぐに読めます。もちろん現代語訳もあります。現在の東京都港区三田にある済海寺(さいかいじ)がこの竹芝寺の跡に建立されたらしいので、今度立ち寄ってみたいと考えています。

それにしても、『更級日記』、『土佐日記』、『奥の細道』、『日本百名山』、『オーパ!』、『深夜特急』等、古典から現代にいたるまで紀行文学に名作が多いことに驚かされます。旅と人生と自然とを一体のものとして見つめ、思索し、簡潔に表現する、日本文学千年の地層の積み重ねがあるからなのでしょう。

紀行文学、秋の夜長のつれづれにお薦めです。さあ今夜、私は『オン・ザ・ボーダー』(沢木耕太郎、2003、文芸春秋)です。