金沢星陵大学女子短期大学部

学長室の窓から

「いしかわのマラソン文化」

12月5日

前回、金沢マラソンに触れました。知る人ぞ知る、石川県は古くからマラソン文化が盛んな地域です。毎年、元旦の金沢城周回「石川県耐寒継走選手権大会」に始まり、各種大会が県内各地で盛んに行われます。2021年「石川県マラソン大会一覧」によると、年25回の大会が予定されていたとのこと。

中でも「河北潟一周駅伝競走大会」は,1920(大正9)年、当時の河北郡連合青年団が新嘗祭(にいなめさい)の記念行事として開催したのが始まり。「箱根駅伝」に次ぐ歴史のある駅伝で、2021(令和3)年、第100回を迎えています。

第10回能登駅伝コース図(1977)※拙著より抜粋

さらに、今から約50年前、1970年代に日本三大大学駅伝と呼ばれたのは、箱根駅伝、伊勢駅伝、それに能登駅伝でした。能登駅伝は、全国から選抜された大学または地域の学連チームが、富山県高岡市をスタート、2泊3日で能登半島を一周、26区間約340キロを駆け抜け、金沢をゴールとする、全国大学駅伝最長・最大の大会。しかも有力選手は、連続3日間出走可という独自のルールがありました。オイルショックによるスポンサーの撤退、伴走車事故の発生等で、残念ながら、第10回大会(1977年)で消滅してしまいました。現在まで続いていれば、箱根駅伝を超える日本長距離走界最大のイベントとなっていたかもしれません(拙著参照)。

石川県内で最も古い長距離走の記録が見えるのは、1908(明治41)年、石川県師範学校学年学級対抗「選手長距離個人的団体競走」ではないでしょうか。学校のあった広坂から石川郡来丸村(現金沢市)までの約6キロを往復している記録が「沿革史」に残されています。教育界では「堅忍持久」のスポーツとして、長距離走が好まれ、奨励されたのでした。
1920(大正9)年夏休み、石川県師範学校継走部は、大聖寺~小松~金沢~羽咋~輪島~飯田~穴水~七尾~金沢を駆け抜ける「県下各郡市訪問長距離走」を実施、各地で熱狂的な歓迎を受けたとされています。石川県師範学校の卒業生が県内に赴任すると、「君はマラソンをやれるか、マラソンをやれぬとだめだぞ」と老校長から眼鏡越しに聞かされたといいます(「石川教育」260号、1927年)。

金沢マラソンが人々に支持され、盛り上がる背景には、県内にこのようなマラソン好きの文化があり、今も引き継がれているのではないでしょうか。金沢の誇るもう一つの伝統文化です。
参考文献
・拙論「石川県におけるスポーツの草創期-明治後半期-」「石川県におけるスポーツの開花期-大正時代-」、(財)石川県体育協会創立50周年記念誌『大地揺るがす感動-スポーツ石川のあゆみ』、1988
・拙著『箱根駅伝を超えようとした幻の能登駅伝』、能登印刷出版、2018