金沢星陵大学女子短期大学部

学長室の窓から

「スキー・スノーボード 安全に楽しんでください」

2月15日

2月半ばに企画されていた、学友会「Sei-Tan Act! スキー・スノーボード体験」が、新型コロナの感染拡大のため、中止になりました。当日を楽しみにしていた私もまことに残念でした。

昨年の学長室の窓から、2021.2.15 「Sei-Tanスキー・スノーボード体験会によせて」2021.2.25「それぞれの青空」 でも触れましたが、日本における本格的なスキー指導は、オーストリア陸軍レルヒ少佐が1911年新潟県高田市(現上越市)の陸軍第13師団の14名のスキー専修員に技術を伝授したことに始まるとされています。13師団は約1年間にわたる研究の後、1911年陸軍省に「スキー術研究及意見」という公式報告書「師団報告」を提出しています。この報告では、「軍事上の用途」のみならず、最初から「一般交通上の用途」、「体育上の利益」と、民生、体育用への転用を視野に入れており、先見の明があったと思います。

ところでこの「師団報告」には、「スキーはかんじきから派生したものか、あるいは橇から派生したものか」というクイズのような問いかけがなされています。これは皆さんはどちらだと思いますか。答えは「かんじき」です。スキーを着けると、雪中でも没することなく歩いたり、山に登ることもでき、下る時は、飛鳥のように滑降できるというのです。

筆者撮影、金沢市内から雪の医王山遠望

私たちはスキー場で、最初にリフトやゴンドラで高いところまで上り、そこからスキーやスノーボードを着けて、滑降を始めます。スキーは左右両脚にそれぞれスキーを着けますから、歩くことは不可能ではありませんが、足首が前傾気味に固定されたブーツですから、歩き難いことは言うまでもありません。スノーボードは一枚板の上に両足を置きますから、そのままでは歩くこともできません。現在のスキーはほとんど滑降専用に特化され、歩くことを想定していないといってよいでしょう。

ですが、「師団報告」にもある通り、スキーは、積雪山岳地でも移動・登攀ができるというところに主眼がありました。だから「かんじき」なのですね。そもそもリフトなどない時代ですから、降りるためには、まず登らなければならなかったのです。

そのことを象徴する出来事がありました。大正9年2月14日、金沢の第9師団のスキー将校8名と、村井又三郎師範学校訓導、第四高等学校学生ら総勢14名が、厳冬期の医王山を越えて15日には富山県福光まで踏破しようと出立しました。しかし山頂付近で吹雪と濃霧に阻まれて予定通り到着できず、このため師団や富山側の地元青年団、消防団などが大掛かりな捜索隊を結成、捜索・救助に向かいました。16日早朝にはスキー隊と遭遇、富山県側の西太美村に1名の犠牲も出すことなく全員無事到着したというものです。

この遭難騒ぎは連日新聞紙面をにぎわし、世間を騒がせたものの、スキーを履けば、金沢から積雪厳冬期の医王山を越えて福光に至ることができるのだと人々を驚かせ、スキーの威力と効用を幅広く知らしめる結果になったと『日本スキー発達史』には記されています。

ゲレンデ外を滑るバックカントリーとか、登山を兼ねた山スキーにはゲレンデ・スキーとは違った楽しみがあるのですが、これに用いるスキーや靴は登りもできるよう、形状、構造も工夫されています。通常のスキーやスノーボードでは絶対にコース外に出ることがないよう気を付け、安全にスキー・スノーボードを楽しんでいただきたいと思います。
参考文献
・山崎紫峰『日本スキー発達史』朋文堂、1936
・大久保英哲・川崎信和・野中由美子「石川県におけるスキーの導入及び普及過程に関する研究」金沢大学教育学部紀要、教育科学編48、1999