金沢星陵大学女子短期大学部

学長室の窓から

「今求められる勇気と知恵」

5月15日

「心に刻んでもらいたい。知恵のない勇気は暴れ者にすぎないし、勇気のない知恵はたわごとにとどまる!世界の歴史には愚かな連中が恐いもの知らずで、知恵ある者たちが臆病である時代が繰り返しめぐってきた。それはゆがんだ状態なのだ。勇気ある人々が知恵深く、知恵深い人たちが勇気を出したときようやく、これまでしばしば、まちがって使われてきたあの言い回し、『人類の進歩』というものを感じ取れるのではなかろうか」

これはドイツの詩人・小説家エーリッヒ・ケストナー(1899-1974)の『飛ぶ教室』(1933)の「第二の前書き」にある言葉です。1930年代、ファシズムを批判したことでナチスから執筆・出版を禁じられ、二度逮捕、預貯金封鎖、軟禁状態に置かれるなど様々な迫害を受けました。海外から救出の申し入れもあったそうですが、「ヒトラーの政策や主張がいずれ破綻し、暴力的な政治によって祖国は破滅を見るだろう。自分の命も脅かされているが、誰かが歴史の経過に立ち会い、証言し、検証しなくてはならない」。ケストナーはこうして自ら歴史の証言者たる立場を選び取りました。

筆者撮影、浅野川・梅の橋の鯉のぼり

今、もう一つ心に刻むべきは、『飛ぶ教室』第7章にある言葉です。
「すべて乱暴狼藉は、はたらいた者だけでなく、止めなかった者にも責任がある」

現在ウクライナで行われている住民虐殺や核兵器使用の示唆など、ロシア・プーチン大統領の人類の進歩に逆行するような乱暴狼藉は到底許されるものではありません。しかしだからと言って、ウクライナ・ゼレンスキー大統領側への公然・非公然の軍事支援の数々は、相互のさらなる乱暴狼藉を作り出すことに繋がってはいないのでしょうか。乱暴狼藉の結果犠牲になるのは、双方の兵士・国民です。

今、われわれの知恵と勇気はロシアやウクライナに対して、どのような責任を果たすべきなのでしょうか。それはケストナーの言うように、すべての乱暴狼藉を止めさせることであり、そのための勇気と知恵を絞りだすことではないでしょうか。

第三次世界大戦となって世界が破滅するということは、その歴史的経過を証言し、検証する立場の存在すら不可能にするかもしれないということです。

今私たちは「勇気と知恵」を求められています。
参考文献
エーリッヒ・ケストナー(池内紀訳)『飛ぶ教室』、新潮文庫、2016(2019版)
「第二の前書き」(25頁)。第7章(125頁)。「訳者あとがき」(222-223頁)。
(なお、2020.7.06「『飛ぶ教室』に思う(その1)」参照)