金沢星陵大学女子短期大学部

学長室の窓から

Sei-Tan「学歌」「新しき時代(よ)」をめぐって

12月15日

★クリスマス・プレゼント
皆さん、Sei-Tan「学歌」をご存じですか。入学式の時にピアノ伴奏に合わせた合唱団のCD録音が流れましたが、その後はほとんど耳にする機会はなかったかもしれません。とても明るく前向きでかつ品のよい歌なので、入学式、卒業式など祝典ではもう少し華やかな吹奏楽の生演奏でができないか思っていたところ、このたび星短同窓会(会長川崎幹子)様から、ブラスバンド用に編曲された楽譜を制作・寄贈していただきました。編曲は北方喜旺丈(きたかた・ひろたけ)先生がなさってくださったそうです。 次の卒業式でお披露目をさせていただく予定です。素晴らしいクリスマス・プレゼント、まことにありがとうございました。

★作曲・作詞者
Sei-Tan「学生便覧」には作詞 森栄一、作曲 山下成太郎として、1~3番までの歌詞が次の通り掲げられています。

霊峰医王の嶺を負(お)い
蒼(あお)き海原(うなばら)見おろすところ
緑なす野面(のづら)に陽光(ひかり)充(み)ちわたり
新しき時代(よ)へ希望求めて集(つど)いよる
ああ星稜 ああ星稜
誠実(まこと)の灯(あかり)ともしたし

白亜の学舎(まなびや)そびえたち
久遠(くおん)の光の輝くところ
誇らかに信頼の声(こえ)冴(さ)えひびき
新しき時代(よ)へ夢(ゆめ)馳(は)せて集(つど)いよる
ああ母校 ああ母校
友愛の花咲かせたし

甍(いらか)のかぎろう浅野川
その細流(せせらぎ)を耳せるところ
早霧(さぎり)たつ谷間に薫風(かぜ)の吹きつのり
新しき時代(よ)へ理想愛して集(つど)いよる
ああ我等 ああ我等
建設(けんせつ)の輪をひろげたし

「学歌」にタイトルは不要なのかもしれませんが、1~3番までリフレインされる「新しき時代(よ)」が相応しいように思い、勝手に名付けました。「知性と感性を身につけ、地域社会で輝く女性職業人の養成」というまさに新しい女性活躍時代の到来を明るくたおやかに歌い上げているからです。

筆者撮影「樹々の葉は風のトレモロと共にどこに消えたのでしょうか」

この作曲にあたった山下成太郎先生(1933-2010、享年77歳)は、金沢大学名誉教授、東京芸術大学作曲科出身、金沢大学教育学部で教鞭をとられ、金沢大学フィルハーモニーの常任指揮者だったいうことは私にもすぐ分かりました。しかし作詞の森栄一氏は聞いたことがあるようなお名前ではあるものの、すぐには思い浮かびません。石川や金沢の古き良き伝統や風景の中に「新しき時代(よ)」を詠える方としばらく考えて、これは森英一先生なのではないかと閃きました。森英一先生(1945生)ならば、金沢大学名誉教授、日本近代文学研究者、金沢近代文芸研究会代表理事も務められ、筆名三木進一としてもご活躍の先生です。お二方とも金沢大学教育学部でご一緒させていただき、時々お声をかけていただいたこともありますので、平仄は合います。しかし学生便覧に明記されている森栄一ではありません。

そこで図書館で片っ端から稲置学園史に目を通しました。すると、ありました。 『稲置学園の五十年』(82頁)には、短大の「学歌も校旗も初年度に制定された」とありますので、制作年は昭和54年(1979)。さらに「学歌制作は岡本(信太郎:筆者)学生部長に一任され、同部長は知己である金沢大学教育学部の森英一助教授に作詞を、同じく山下成太郎助教授に作曲を依頼し、十月四日の稲置学園音楽祭で、合唱部員により披露された」(82頁)と明記されています。これで「森英一」が正しいことが判明。ひとまず疑問は解消しましたが、「学生便覧」とそれに基づいた入学式・卒業式パンフレットの誤記がどこまで遡るのかについては調査中です。

森英一先生、誠に申し訳ありませんでした。今後訂正のうえ、正しく表記させていただきます。また山下成太郎先生と共にすばらしい学歌を作っていただき、ありがとうございました。あらためて感謝申し上げます。
主な引用・参考文献
稲置学園五十年史編纂委員会(編)『稲置学園の五十年』、昭和57年(1982)
山下成太郎先生については、「金大フィルの50年」(2023.12.14取得)ほか
森英一先生については、wikipedia「森英一」(2023.12.14取得)ほか