金沢星陵大学女子短期大学部

学長室の窓から

「日本疫学の父」高木兼寛(その1)

1月25日

昨年(2020年)以来、私たちは新型コロナウイルス(COVID-19)の脅威にさらされています。2021年1月18日時点で、世界の感染者総数は9,500万人、死者も203万人を超えています。日本国内においても感染者が33万人、死者も4,500人に達し、今なお収まる気配を見せません。Sei-Tanも金沢星稜大学にも感染者の発生が見られ、1月18日から2月3日まで、授業や期末試験が遠隔方式に切り替わったことは皆さんご承知の通りです。皆さんSTAY HOMEをお願いします。
 
このように、2020年は、疫学史上、後世の歴史に刻まれる年となりました。ワクチンもまだ十分確立された状況ではありませんから、2021年も同様かもしれません。「疫学」というのは、人間集団を対象とし、実証的な根拠に基づいて、病気の原因や本態を究明する医学の一分野のことです。今政府の新型コロナウイルス感染症対策分科会長として、前面に立ち、政府に提言し、そして国民に呼びかけている尾身茂医師(1949- )をテレビや新聞で目にしない日はありません。氏はWHOの専門家として、西太平洋地区から小児麻痺(ポリオ)を撲滅し、SARSや鳥インフルエンザなどの感染症対策の世界的な権威であり、疫学の研究者なのです。
 
尾身氏を遥かにさかのぼる日本疫学の「父」と呼ばれる人物が、後に海軍軍医総監となる高木兼寛(たかきかねひろ、1849-1920)です。宮崎県出身、昨年(2020年)がちょうど没後100年に当たります。日本ではあまり知られていませんが、この高木氏の功績を記念して、イギリスにある南極地名委員会が南極大陸のひとつの岬に「高木岬(Takaki Promontory)」と命名しているほどなのです。1887年に総裁に迎えた昭憲皇太后(明治天皇の皇后)から「慈恵」の名を賜った、今に続く東京慈恵医大の創設者でもあります。
 
私は、明治・大正期、世界に影響を与えた科学者・教育者を5人挙げよといわれたら、新渡戸稲造、嘉納治五郎、野口英世、北里柴三郎、そしてこの高木兼寛を挙げたいと思います。
 
明治・大正期の日本は、「結核」と原因不明の死病「脚気」(かっけ)に苦しめられていました。とくに脚気は軍隊内で蔓延したため、帝国軍人の「職業病」の様相を呈していました。江戸時代の侍「一人扶持」とは、一人「1日5合」の規定だったそうですから、1日に白米6合とみそ汁、漬物、時にイワシのような小魚であっても、尾頭付きの魚と白米が食べられる軍隊の食生活は、貧しい農家の二・三男たちにとっては恵まれたものに映ったのでしょう。白米が憧れであった東北地方出身兵士の手記にはしばしばそのような記述が見られます。そう言えば、宮沢賢治も「一日四合の玄米と味噌と少しの野菜を食べ」るのを理想としていました。
 
もちろん脚気は明治になって登場した病気ではありません。「江戸わずらい」という言葉があったそうです。消費都市江戸で白米暮らしをしているうちに体が怠(だる)くなり、手足がむくみ、食欲がなくなる。症状が進むと、心不全を起こして死ぬ場合も。当時はまったく謎の病で、効果的な治療法もなかったのですが、不思議なことに病人が年季奉公を終えて里に帰る、あるいは江戸詰の侍が参勤交代で領国に戻り、食生活が元に戻ると、症状は嘘のように改善されたというのです(浅田次郎『パリわずらい 江戸わずらい』2014)。(続)