金沢星陵大学女子短期大学部

学長室の窓から

「誠実にして社会に役立つ」ということ

4月25日

星短は、「誠実にして社会に役立つ人間」を育成するという建学の理念を掲げ、40年。石川県唯一の女子大として、7千名を超える卒業生を送り出し、北陸の「経営実務」を担う女性となって、各界で活躍しています。 「誠実」というのは、自分の夢や理想に向かい、それを実現するために、日々、目の前のことがらを一つ一つきちんと、手を抜かずにこなし続ける力を持った粘り強い人のことを言います。「社会に役立つ人間」というのは、それが自分のためだけではなく、誰かが喜んでくれたり、幸せになったり、社会が少しでも良くなるような活動や行為に結び付ける人のことです。
 
「経営実務科」は、将来企業や地域で仕事ができるよう、徹底した実務教育を行います。コンピュータも情報処理も、簿記や税務会計も、英語や外国語も。もちろん言葉使いや女性の品格あるマナーや振る舞いも。そしてその根底には人としてどう生きるかの知性や感性を磨くことも重要です。ですから、「2年で4年を超える」星短のカレッジライフは、当然、凝縮され、密度の濃い時間を過ごすことになります。星短が就職に強いのは、こうした実務家に徹したところから生まれる人間教育が社会から高く評価されているからです。(参考:星短大学案内2020より)
 
次に、少し私自身の話をさせてください。私は1950年、青森県の南部にある三戸(さんのへ)郡に生まれました。今年70歳になりました。父はもともと小さな農家の長男でしたが、師範学校を出て郡内の教師をしておりました。兄弟は4人。三戸郡は岩手県や秋田県に接する北緯40度の奥羽山脈の山間寒冷地、当時の米作技術ではほぼ限界でしたから一帯は貧しいところです。中学校の時には田子町というところにおりました。
 
秋になって取入れが終わり、冬ごもりの準備が始まると、中学の友達は暗く、寡黙になります。石油時代の到来とともに、山林業、とりわけ炭焼きの需要が激減した町では、現金収入を求めて、父親が、あるいは祖父母がいるところでは両親そろって、東京方面に春まで出稼ぎに出るからです。子どもと年寄りだけの冬の孤独と寒さはいかばかりだったでしょう。工事現場などの出稼ぎ中の事故も多かったし、出稼ぎを機に崩壊する家族もありました。テレビも電話も各家にある時代ではなく、高校進学率は50%に届かなかったと思います。私は中学校3年の担任であった原田隆男先生の言葉をいまでも覚えています。「勉強できるやつは勉強して、医者でも学校の先生にでもなれ。金儲けがうまいやつは、会社を作れ、商売をやれ。手先の器用なやつは大工になれ、職人になれ。家を継ぐやつは家を継げ。そうやって、みんなで稼いで、出稼ぎなどしなくてよい世の中をつくるのだ」。
 
勉強のみならず、生きる意味を教えてくださったこの先生には本当に感謝しています。そして皆さん、これって「誠実にして社会に役立つ」という本学の建学の理念そのままだと思いませんか。皆さんは短大を卒業して就職すると、平均17~18万円の給料がもらえます。でも手取りはもっと低くなります。所得税とか住民税が引かれるからですね。でも社会に役立つということはそういうことでもあるのです。働いて税金を納めるということで立派に社会に貢献しています。何も特別ボランティアをするとか、寄付をするということではありませんね。それだけに、その税金が無駄づかいや不毛な戦争に使われることがないよう、しっかり見届けなければなりません。
 
私は中学校を卒業した後、父が転勤したこともあって、もう50年以上田子町を訪れていません。つまり何も町に貢献できず、原田先生の教えを守ることはできませんでした。
 
けれども、私が子どもの頃にはなかった「にんにく栽培」が成功し、ここ20年くらいで町の特産品として「田子にんにく」が全国ブランド商品になっているということです。原田先生の教えを守って実践してくださった方がおられるのですね。そのおかげで、出稼ぎをせずとも暮らしていける町になっていてくれたらなあと祈るばかりです。いつの日か、生あるうちに、もう一度あの町を訪れ、原田先生にお詫びをしながら、高原に広がる町の様子を見ることができたらなと思うと、年寄になった私の目は潤みます。(参考:星短「クラスコミュニティ第1回学長講話」より)