金沢星陵大学女子短期大学部

学長室の窓から

ひとりになって自分と向き合う

6月15日

人間には「きずな」「連帯」「仲間」が重要であることは言うまでもありません。人間は文字通り、人々の間で生きる、集団の生き物だからです。

現代は、スマホと車に代表される交通手段でいとも簡単に他の人々とつながります。学生の皆さんも、気軽に「○○さん、暇?」 と誘い合い、連れ立って楽しそうにどこかに出かけます。まるでひとりになることを恐れ、避けるかのように。

そうした若者たちに勧めてみたい本があります。ニーチェ『このようにツァラトゥストラは語った』です。

「わが身には、いつも余分に、一人の者が付き纏っている」「わたしは、わたしを相手に、いつも対話に熱中しすぎる」「隠遁者にとって、友人はいつも第三者である。第三者は二人の対話が深みに沈み込むのを阻止するコルク製の浮子(うき)なのだ」「君は自分の友人のために、どれほど美しく着飾っても、着飾り足りない」「というのは、君は彼にとって、超人に向かう一本の矢、一個の憧憬であるべきだからだ」「仲間同士の親しみというものはある。友情があるとよいのだが!」(吉沢伝三郎訳『このようにツァラトゥストラは語った』(上)「友人について」講談社文庫、1971、112-116頁)

筆者撮影 群れているようでも個に咲くヒドコート

断章ですから、分かりにくいかもしれません。以下私の個人的な解釈を加えてみます。

あなたは親しい友達と楽しそうに遊び歩いているけれど、それが本当の友情かどうかは疑わしい。本当の友情に基づく友だちは、もっとライバル的な緊張関係を持っているものだ。友だちから見た時、「よし負けてなるものか」とあなたに憧れるような存在でなければならない。そのためには、あなたは自分自身との対話を深める必要がある。安易な友はその深まりを阻害するコルクの浮子のようなものでしかない。

私のようにスマホをどこかの机の引き出しに置きっぱなしの人間は、他人からはしばしばひんしゅくを買いますが、自分では、さして困ることはありません。

皆さん、一日のうち数時間でもスマホの電源を切り、ひとりになって自分と向き合う時間を作りませんか。