金沢星陵大学女子短期大学部

学長室の窓から

時間

7月15日

皆さん。「時間」とは何なのでしょう。テレビで正午などに「ポッ、ポッ、ポッ、ピー」という音とともに、秒針が進む時計を思い浮かべる方も多いかもしれません。日本中の、いや世界中の時は同時に同じ時を刻んでいるように見えます。

近年の最新のデジタル技術を用いた放送では、多くの情報を送るためにデータをコンパクトにする「圧縮」処理を行い、テレビで見る時には、それを「解凍」して、視聴できるようにしているのだそうです。この「圧縮」「解凍」に僅かながら時間がかかるため、テレビ画面は少し遅れて表示されます。また、信号が各放送局を経由することで地域によって遅延時間が異なり、同じNHKでも、ラジオ、地上アナログ、BS、地上デジタルでは微妙にずれが生じ、同一ではないのだそうです。そのため、現在はアナログ放送以外では時刻放送はないのだとか。(笹木萌「NHKが時報放送を止めた理由 テレビから消えた「NHK時計」の歴史と現在」)

ということは、NHKの時報は地域によって異なる!つまり「金沢時間」とか「輪島時間」が成立することになります。私はこの事実を知って愕然とし、釈然としない思いにとらわれました。日々の生活や実用に差し支えるほどではないのでしょうが、実用に差し支えないということと、私がこれまで確信してきた時間の厳粛な性質ということとは全然意味が違います。

教育史家の端くれとして日本の近代教育を振り返ると、国民に時間の観念を身につけさせることを眼目にしてきたようにさえ見えます。江戸時代の日本は不定時法。太陽の日の出・日の入りの動きに合わせて、一日の長さは季節によって変化し、一時間の長さも季節によって変化します。(国立天文台暦計算室)

人々は太陽の位置や明るさ、遠くで鳴るお寺の鐘などで時刻を判断せざるを得ないのですから、時間感覚はずいぶん大雑把だったのではないでしょうか。「金沢時間」「輪島時間」「私時間」「あなた時間」も十分あり得るどころか、それが普通だったことになります。

近代にいたって、世界中の多くの国家は競って富国強兵策を推し進めました。工場労働や軍隊の担い手となる国民の教育に必要なのは規律順守。とりわけ時間の厳守でした。日本では不定時法から、現在に至る一日を24時間に分ける、つまり季節に左右されない定時法を採用し、徹底的してその普及・浸透に取り組みました。

学校はその役割を担う最も重要な教育機関でした。一年間を通じて、朝8時30分から授業開始。50分間で一つの教科を終えて10分間の休憩。これを繰り返し、15時過ぎに終業などという学校時間はまさに近代そのもの。機械式時計が一般的ではなかった当時、用務員さんがガランガランと鳴らす鐘の響きは「時間を守れ」「遅刻はするな」と、時の何たるかを体に染み込ませる近代教育そのものだったことになります。

毎年1月に実施される「大学入学共通テスト」。日本列島の北は北海道から南は九州沖縄まで全国一斉一律に行われます。当日試験監督に駆り出された日には、電波時計の秒針を追いかけながら、「始め」「止め」まで、気の休まる時がありません。何せ、全国一斉一律なのですから…。私の最も疲労困憊する業務の一つでした。

筆者撮影 咲く時を知っている御所町の蓮の花?

私たちは、いつの間にか、時間を人間共通の物差しとして捉え、挙句の果てにそれを絶対的なものと位置付けているようにすら思われます。M.フーコー『監獄の誕生』に出てくる「パノプティコン」(一望監視)の内面化です。現代における形を変えた絶対神ということができるかもしれません。

高齢になった私は、いつしか日の出とともに目覚め、散歩に出かけて活動を開始しますが、逆に夜は鶏のように夜目が利かなくなって、睡魔に襲われ、早々と就寝。昔のお百姓さんと同じような生活リズムになっています。おそらく不定時法であっても適応できるであろうと思います。

そうはいっても、今でも8時50分からの一限目の授業を前にすると、10分くらい前からソワソワ落ち着かなくなる習性は、やはり小さい時から「時間を守れ!」と、徹底した規律訓練を通して飼い馴らされ、「時」を身につけさせられた者の哀れな性なのかもしれません。
引用参考文献
笹木萌「NHKが時報放送を止めた理由 テレビから消えた「NHK時計」の歴史と現在」 2019.12.31 11:00
国立天文台暦計算室「定時法と不定時法」
ミシェル・フーコー(1975)・田村俶訳『監獄の誕生—監視と処罰—』新潮社、1977