金沢星陵大学女子短期大学部

学長室の窓から

「対面授業」

8月21日

皆さん、こんにちは。8月も後半。「秋来ぬと目にはさやかに見えねども風の音にぞおどろかれぬる」(藤原敏行)。8月12日「学生の皆さんへ 2020年度後期の授業について」でお知らせしましたように、Sei-Tanは、後期から原則対面授業に戻します。
 
新型コロナ感染防止対策のため、前期はすべて遠隔授業でした。学生の皆さんはもとより保護者の皆様も対応にご苦労されたことと拝察します。Sei-Tanの教員、職員も総力を挙げて奮闘、その結果、遠隔授業実施に向けたIT関連機器の整備・拡充、ノウハウ習得も進み、大きなトラブルなく、遠隔授業がほぼ成功裏に実施できたことは、何よりのことでした。関係者の努力に敬意を表したいと思います。
 
遠隔授業は、何より感染の恐れがないことが最大のメリットです。先日Sei-Tan学友会の皆さんと話し合う機会があったのですが、席上「通学が不要なので直前まで別のことができる」、「お化粧や服装も楽」、「思っていたより(かえって)授業が分かりやすい」などの率直な声もお聞きすることができました。遠隔授業に大きなメリットがあることは疑う余地がありません。
 
では、新型コロナ感染症の終息が見えない8月の現段階で、なぜ後期から遠隔授業ではなく対面授業に戻すのか、とお思いになられる方もおられると思います。本日はそのことについてお話したいと思います。もちろんこれは一人の老教員としての私の思いですので、そのつもりで聞いてください。
 
昔のことになりますが、私は教育学の授業で、ドイツ流の教育理論を学びました。授業(Unterricht、ウンターリヒト)というのはBildung(ビルドゥング)とErziehung(エルツィーウング)の2つから構成されるというのです。ビルドゥングというのはさまざまな知識や技能の教授のこと、英語ではinstruction、日本語では「陶冶」(とうや)と訳しています。いっぽうエルツィーウングというのは、判断・意志など、人格・性格形成にかかわる概念です。日本語では「訓育」と訳し、英語ではdisciplineを当てています。この2つを教育として総称する場合も同じErziehungと言いますから、少しややこしく、分かりにくいですね。またビルドゥングとエルツィーウングも画然とは区別できないという批判もあり、この教育理論は古典的過ぎるとして、現代の教育学ではあまり教えられていないようです。
 
でも大事なことは、授業(ないし教育)には「知識や技能を身につける」側面と、「人生や世界観といった目に見えない人格形成」の2つの側面があるということです。例えば、経営実務科の学生であれば、簿記・会計や税務事務もこなせる「知識や技能」を身につけねばなりません。これはビルドゥングです。そしてそれとともに、例えば、脱税とか不正経理に与しない倫理観や人生観も身につけねばなりません。これは授業内容に直接組み込まれる場合もありますが、多くは先生方の言葉、態度、姿勢、行動、表情、息遣いなどから、それらを身につけていきます。いわば全人格的な教えです。これがエルツィーウングです。私自身の経験で言っても、授業内容はすっかり忘れてしまいましたが、歴史の信ぴょう性について熱っぽく語るその語り口から、学問に向き合う姿勢というのは、こういう真剣勝負なのだと印象深く覚えているということがあります。
 
Sei-Tan生の皆さんは、修業年限が2年間です。2020年度はすでに1年間の半分をほぼビルドゥングのみで過ごしてしまいました。なんとしてもエルツィーウングを補完して、教育を全うしなければなりません。後期に対面授業を決断した最大の理由です。むろん学生や教職員の生命・安全は何より優先します。今後のコロナ感染状況次第では、再び遠隔授業にせざるを得なくなる可能性もあります。そのため万一の場合に備えて、前期の経験をもとに、即応可能な体制を準備しておかねばなりません。それでも教育には対面によるエルツィーウングが不可欠なのです。当世風に言えば、ハイテク授業には同時に、ハイタッチな教師や友人同士の人間的な交流が伴わねばなりません。
 
Sei-Tan生の皆さん。後期授業開始に当たり、新型コロナ感染拡大防止に最大限の注意を払いつつ、対面授業でなければ得られないエルツィーウングの重要性を理解し、貴重な機会として、これまでにも増して積極的に授業に取り組んでくださいますように。