金沢星陵大学女子短期大学部

学長コラム

戒めの牛丼

9月28日

 お店にはいってタッチパネルを操作しながら、何にしようか、他のことも考えつつ迷うこの時間が、とてもいとおしい。

 これまでの人生で、二回ほど長い入院生活を送っている。もちろん、入院するほどの病気など、経験しないにこしたことはない。けれど、決して悪いことばかりではなかった。月並みかもしれないけれど、そこにはたくさんの学びがあったからだ。痛みや不安なく眠れること。自分の足で歩けること。食べたいものを食べられること。トイレに行けること。そして、笑えること。
 病気とは、日頃は気づけない「日常の当たり前の幸せ」を見つけるためのものなのかもしれない。

 最近の二回目の入院中、当然ながら何もする気になれず、窓から外ばかり眺めていた。今となってはあまり覚えていないが、空がゆっくり雲たちを運んで、景色を変えていった。子どもたちが公園ではしゃぐ姿も眩しかった。
 夜には、窓の向こう、ほんのすぐ側にある牛丼屋の赤い看板が、煌々と光っていた。「こっち」にいる私は、見慣れていた「あっち」には行けないんだと、やりきれない気持ちになったこともあった。

 当たり前の日常が、いかに良いものか。病気に教わった。

 その後、幸いにも私は生還できたが、同じような時期に残念な結果となった身近な人たちもいた。思い起こせば、彼らに共通していたことがある。彼らは一度病気になり、寛解していた。その後、彼らは元通りの生活をした。

 いや、してしまった。
 
 病気とは「合図」であり、「お知らせ」だと思う。身体のちょっとした不具合であり、それまでの生活の中にあった良くない点が、形となって現れたものなのだと、かなり昔、一回目の退院後にそう思った。
 
 私は、入院のたびに生活を大きく変えてきた。偶然ではあったが、一回目の入院後は転職をした。そして、最近の入院の後には、好きだったことも含めて、いくつかのことをやめた。ビジネスでも、何か不具合が起きたなら、それが単なる突発的な事象なのかどうかを考えるべきであろう。二回、同様の事象が発生したなら、もうそれは偶然とは呼べない。

 現在も、月に一回は検診に行っている。その帰りには、いつもあの窓から見ていたこの牛丼屋にくることにしている。あの夜、病室から眩しく見つめていた牛丼を、今日、この日に自分の足で歩いて食べに来ることができている。
 そのことに深く感謝しながら、そして、二度と繰り返さないと誓いながら。

 今日は、ネギ玉でもトッピングしようかなぁ。