金沢星陵大学女子短期大学部

学長室の窓から

働きアリ2・6・2の法則

10月15日

後期授業が始まりました。昨年度から開講したSei-Tan2年生向け「生きるための哲学・倫理学」。きっかけは数年前、就職を間近に控えた2年生の中から「Sei-Tan経営実務科の授業では、実務に近い知識技能を中心に勉強してきて、就職にも役立ち、それはそれでよかったのだけれど、最後の学期では、実務ではない大学生らしい勉強をしてみたい」との声。その心意気や良し。ところが、大学で開講している哲学や宗教学などのいわゆる教養科目の科目等履修には授業時間が合わないとか、希望者多数のため受講できないとか、内容が高度で難しいなど、現実的には様々な壁があるとの課題も聞こえてきました。

ならば、哲学・倫理学の専門家ではありませんが、はるか昔に学び、形だけとはいえ高校「倫理・社会」の教員免許を持ち、教壇に立った経験もあります。まもなく社会に羽ばたく女子学生たちに、「元気でたくましく生きるのですよ」と、孫娘に語り掛ける応援メッセージのつもりでこの授業を開講することにしました。

前回は、人間は血液型、運命、環境といった何か自分以外のものに支配され・決定されている(「決定論」と言います)のか、それとも本来個々の人間は自分次第でどうにかなる(「自由」な存在)なのかといった「自由と必然」の哲学議論を踏まえ、「努力すれば夢はかなうは本当か?」という問いかけからスタート。「環境に規定される」決定論の例として、長谷川英祐(2010)『働かないアリに意義がある』を参考にしつつ、人口に膾炙(かいしゃ)される「働きアリ2・6・2の法則」を取り上げました。働きアリの集団をつぶさに観察すると「よく働くアリが2割、普通に働くアリが6割、働かない怠けアリが2割に分かれる性質がある」という理論です。面白いことに働きアリだけ集めた群れを作っても、逆に怠けアリだけの群れを作っても、しばらくすると同じように2・6・2の比率になるというのです。長谷川先生によれば、働きアリだけの群れだと、働きすぎの過労社会となって、群れが全滅する可能性があり、そうなる前に怠けアリの出番が出てくるというのです。一方怠けアリだけの群れでは社会がそもそも成り立たず、いつの間にか一定比率で働き出してそれなりに社会や種を維持する仕組みだというのです。つまり一見無駄飯食いのように見える働かないアリにも、組織を存続させるうえで重要な役割があるというのですね。

筆者撮影 浅野川の彼岸花

Sei-Tan生の皆さん、これを人間社会にも応用してみましょうか。例えば政府や企業などで時折各部署から働きアリ人間をピックアップして新しい部署を組織、さぞや目覚ましい成果を上げるかと思えば、そうでもなかったということはよく耳にしますね。 また我々全員一丸となって頑張ろうということがよく言われます。でもどんな意見や提案にも2・6・2の法則が当てはまると考えるとどうでしょう。全員一致などというのはかえって不自然で、どこかに無理な力が働いているのかもしれません。古代ユダヤの教えには「世の中のすべては78:22で成り立っている」という「78:22」の法則があるそうです。2割くらい反対者がいるほうが組織として健全だということなのでしょう。 ちなみに、6割の普通アリというのは、時々働きアリにも、怠けアリにもなる「ぼちぼち」のアリさんたちなのだそうです。私なぞ典型的な「ぼちぼち」アリです。

いや、そもそも我々はアリではない、本来人間は自由なのだという反論もあるかもしれません。まあ言えることは、皆さんこれからの人生、皆で一丸、全員一致などと頑張りすぎず、2割程度の反対者がいても、当たり前。すべからくおおらかにゆるーく生きて良いのだということ。これも生きる哲学です。
引用参考文献
長谷川英祐『働かないアリに意義がある』メディアファクトリー新書、2010
「ユダヤの法則」についてはこちらを参照(2023.10.10取得)