金沢星陵大学女子短期大学部

学長室の窓から

カルチャー・ギャップ

10月25日

いつの時代も若者には若者の文化があります。そして、たいていそれは、「今どきの若者は…」と、年寄り世代からは冷ややかで胡乱(うろん)な目を向けられます。紀元前3千年の古代ギリシャやエジプトでもそういう世代論があったとも言われるので、人間というのはいつの時代も変わらないものかもしれません。

けれど、現在のわが身を顧みると、若者からは「今どきの年寄りは…」と言われそうな気がします。言われても仕方がないでしょう。私には様々な欠点がありますが、その最たるものはこの年齢になっても「適切な国家観を有していない」ことではないかと自問しています。

ご存じのとおり、ソクラテスは国家の名において処刑され、弟子プラトンは師が説いた正義の実現には個々の人間を超えて、「国家」そのものを問題にせざるを得ないのだと説きました。それが『ポリテイア(国家)』です。

筆者撮影 浅野川の清秋 もりの里1丁目付近

その『国家』には、その当時の「今どき」の若者(学生・生徒)と年寄り(教師・年長者)を共に批判する次のような痛烈な言葉があります。

 「先生は生徒を恐れてご機嫌をとり、生徒は先生を軽蔑し、個人的な養育掛りの者に対しても同様の態度をとる。一般に、若者は年長者と対等に振舞って、言葉においても行為においても年長者と張り合い、他方、年長者たちは若者たちに自分を合わせて、面白くない人間だとか権威主義者だとか思われないために、若者たちを真似て機智や冗談でいっぱいの人間となる」(プラトン・藤沢令夫訳『国家』(下)、1979(2008、49刷)岩波文庫、244ページ)

ジェネレーション・ギャップ(世代間による考え方の違い)といったカルチャー・ギャップ(文化の違い)はあって当然。共に互いに尊重し合いながらも迎合すべきではないのだという古代ギリシャの哲人の深い教え。味わいたいものです。