金沢星陵大学女子短期大学部

学長室の窓から

いくたびも雪の深さを尋ねけり

12月15日

「柿くへば鐘が鳴るなり法隆寺」。ご存じ正岡子規の代表句です。子規は1867年現松山市に生まれ、新聞記者、歌人、俳人として活躍しましたが、結核に侵され、1902年、脊椎カリエスにより死去。享年34歳でした。

さて、子規の中で、私が最も好きな句は「いくたびも雪の深さを尋ねけり」(『寒水落木』1896年)です。東京で闘病中の冬、子規は病床で雪の気配を感じたのでしょう。ですが、自らはもはや起き上がることもかないません。家族(妹さんかもしれません)に雪の積もり具合を何度も尋ねている様子が素直に詠われています。その時に降っていた雪はどんな雪だったのでしょう。宮沢賢治「永訣の朝」にうたわれた妹トシの今際の依頼「あめゆじゆとてちてけんじや」(雨雪採って来て頂戴)のように雨雪(霙)だったのでしょうか。それとも「上見れば虫こ 中見れば綿こ 下見れば雪こ」(秋田のわらべ歌)のような比較的乾いた雪だったのでしょうか。東北雪国生まれで、花巻地方の方言もほぼ理解できる私はそんな雪の種類が気になって、子規と言えば、名句ではないかもしれませんが、ついついこの句が心に残ります。

このように正岡子規といえば、鳴いて血を吐く「不如帰(ほととぎす)」。病臥の俳人のイメージが強いのですが、実は野球大好き人間だったということはよく知られた話です。1884(明治17)年、東京大学予備門時代にベースボールを知り、1889年に喀血して止めるまで左利きで投手・捕手をしていたとのこと。1889年7月には、郷里の松山にバットとボールを持ち帰り、松山中学の生徒らにベースボールを教えたとも言われます(松山市立子規記念博物館)。野球を詠んだ短歌、俳句も数多く見られ、新聞や自分の作品の中で紹介し、日本の野球普及に多大な貢献をしたとして、2002年東京ドームの野球殿堂博物館に「殿堂入り」しています。

筆者撮影 冬の晴れ間に広がる黒い雪雲(浅野川もりの里付近)

いくつかベースボール歌(句)をあげておきましょう。
「久方のアメリカ人のはじめにしベースボールは見れど飽かぬかも」
「春風や毬を投げたき草の原」
「打ち上げるボールは高く雲に入りてまた落ち来る人の手の中に」
「今やかの三つのベースに人満ちてそゞろに胸のうち騒ぐかな」

正岡子規の本名(幼名)は「升(のぼる)」。俳号に「子規、のぼる、野暮流、能球、野球」などを用いています。「能球」「野球」も「の・ぼーる」ですから、野球への傾倒ぶりが伺えようというものです。(司馬遼太郎「坂の上の雲(一)」には野球命名者としての言及がありますが、これはスポーツ史研究者からは否定的な見解が示されています。)
いずれにしても降りしきる雪と、身動きできぬ自分をともに静かに見つめて、脳裏に去来したのは、春の野に白球を追いかけた若き日の自身の姿だったのではないでしょうか。

師走も半ばを超え、クリスマス、年末・年始寒波が襲来、雪も本格化しそうです。皆様新型コロナ対策も怠りなく、お元気で良い年をお迎えください。(次回は2023年1月15日の予定です)
引用参考文献
長谷川櫂『子規の宇宙』角川選書477、2010