「拗ねるな!!」
6月17日
懐かしい人に再会した。「私は会社がいやになったときも、拗ねるな!という教えがあったから、今もがんばれています。」と話してくれた。
彼女は二十年ぐらい前の紫陽花が咲くこの季節に、集合研修を終えた新入社員として私の前に現れた。当時のわたしはその会社の中堅社員で、いくつかの製品開発の案件を抱えて日々忙しくしていた。そんな忙しい日々の中、年齢差のある私の部下として彼女はやってきた。
あるとき、共に全力で進めていた新製品のプロジェクトが、自分たちの落ち度もなくというか全くの不可抗力で中止にするという判断が下された。私もがっかりし少し怒っていた。その傍らで彼女はずいぶんと拗ねていた。このとき、「拗ねるな!!」と強い言葉で彼女に言った。日頃、そんなに強い言葉でいうことはなかったが、全力でそう言った。 なぜそんなに強く言ったのか詳細は覚えていないが、それまでの働いた経験で拗ねる人を色々とみてきたから出た言葉だったのかもしれない。
その組織でも、他にも結構な年配の男性で拗ねる人はいた。拗ねる彼らに共通しているところはいくつか思いあたる。どこか子供っぽく、拗ねたら構ってもらえると思っている。やがて周囲からは面倒なやつと思われて不愉快な思いをさせる。いつも組織や他人を批判し、自分はなぜだか被害者だと思っている。少し長い時間経過で見ても良いパフォーマンスや結果は残せない・・・など書いていけばきりがない。当時はこんなに明確に表現もできていなかったが、とにかく、拗ねればよくない結果になるということを知っていたから全力で悪い方向にいこうとするのは引き留めようとしたに違いない。もちろんこれらは、その当時の職場やビジネス上での私の思い込みも含めた小さな経験からの感覚にすぎない。
彼女は二十年ぐらい前の紫陽花が咲くこの季節に、集合研修を終えた新入社員として私の前に現れた。当時のわたしはその会社の中堅社員で、いくつかの製品開発の案件を抱えて日々忙しくしていた。そんな忙しい日々の中、年齢差のある私の部下として彼女はやってきた。
あるとき、共に全力で進めていた新製品のプロジェクトが、自分たちの落ち度もなくというか全くの不可抗力で中止にするという判断が下された。私もがっかりし少し怒っていた。その傍らで彼女はずいぶんと拗ねていた。このとき、「拗ねるな!!」と強い言葉で彼女に言った。日頃、そんなに強い言葉でいうことはなかったが、全力でそう言った。 なぜそんなに強く言ったのか詳細は覚えていないが、それまでの働いた経験で拗ねる人を色々とみてきたから出た言葉だったのかもしれない。
その組織でも、他にも結構な年配の男性で拗ねる人はいた。拗ねる彼らに共通しているところはいくつか思いあたる。どこか子供っぽく、拗ねたら構ってもらえると思っている。やがて周囲からは面倒なやつと思われて不愉快な思いをさせる。いつも組織や他人を批判し、自分はなぜだか被害者だと思っている。少し長い時間経過で見ても良いパフォーマンスや結果は残せない・・・など書いていけばきりがない。当時はこんなに明確に表現もできていなかったが、とにかく、拗ねればよくない結果になるということを知っていたから全力で悪い方向にいこうとするのは引き留めようとしたに違いない。もちろんこれらは、その当時の職場やビジネス上での私の思い込みも含めた小さな経験からの感覚にすぎない。
現在の職場では幸いなことに拗ねる人はみかけず、快適に日々を過ごさせてもらっている。みなさんの周りではいかがだろうか?
今では製品開発のリーダーとして、主婦として、母として忙しい日々を過ごす彼女は、後輩たちや子どもたちにも拗ねるなと言っているらしい。時間を経て熟成した贈り物を届けてもらったよう。気が付けば金沢でも紫陽花が咲き始めたこの頃、遠いその当時の記憶がよみがえってくる。
今では製品開発のリーダーとして、主婦として、母として忙しい日々を過ごす彼女は、後輩たちや子どもたちにも拗ねるなと言っているらしい。時間を経て熟成した贈り物を届けてもらったよう。気が付けば金沢でも紫陽花が咲き始めたこの頃、遠いその当時の記憶がよみがえってくる。