もう一つの眼で
7月18日
最近は様々な世界で、だれもがすごいと思うような若い人を目にするようになった。特に色々なスポーツで若い才能が開花しているように思う。何気なく馴染みのスポーツトレーナーとそんな話をしていた。彼はパーソナルトレーニングの本業の傍ら、小学校や中学校のクラブ活動でバスケットボール等も指導している。彼によれば、最近のクラブの活動では追加の練習を強要することはなく、全体の練習が終わったあと、更に練習したい選手はするというパターンらしい。そんな中で「うまくなりたい」という選手たちは、自分のパフォーマンスを静止画や動画で撮影して確認するのだそうだ。そして、彼らは単に自分のパフォーマンスの確認に留まらず、プロや有名選手など自分にとっての理想のパフォーマンス画像を何回も見て、そこにある大きなギャップを埋めようとトレーニングや技術修正をするらしい。コーチは技術的なアドバイスをして、強制はもちろんせず、むしろやりすぎによる怪我をしないように注意をするのだそうだ。
私はこの話に驚きを隠せなかった。なるほど驚異的なパフォーマンスの若者が生まれるわけだなぁと思った。一番感心したのは若者たちが自分のパフォーマンスを客観的に捉えようとしているところだ。若者たちは、パフォーマンスを実際にしているときの自分の眼とは別に「動画」や「静止画」というもう一つの眼で自身のパフォーマンスを客観的にとらえる必要性を感じ、実際に確認している。
スポーツの世界に限らず、「自分がやろうとしていること」と「実際にやっていること」には少なからず差がある。自分が実際にやっていることを客観的に把握するというのは案外むずかしい。特に若いときは自分ができていると思いたいし、思いがちだ。
我々の日常でも時には「もう一つの眼」を持つ必要性を感じ実際に持てたらよいのかもしれない。もう一つの眼はなにも画像だけとは限らず、何かをモニタリングしデジタル化した情報でもよい。あるいはアナログな他人の眼と言葉でもよい。時には門外漢と言われるひとたちのバイアスという曇りのない眼が、何かを映し出しあぶり出してくれるかもしれない。
まぁ、とにかく、令和のこの時代にスポーツに励んでいる若者はそんな小難しいことは考えてないであろう。彼らに敬意とエールを送りたい!!
私はこの話に驚きを隠せなかった。なるほど驚異的なパフォーマンスの若者が生まれるわけだなぁと思った。一番感心したのは若者たちが自分のパフォーマンスを客観的に捉えようとしているところだ。若者たちは、パフォーマンスを実際にしているときの自分の眼とは別に「動画」や「静止画」というもう一つの眼で自身のパフォーマンスを客観的にとらえる必要性を感じ、実際に確認している。
スポーツの世界に限らず、「自分がやろうとしていること」と「実際にやっていること」には少なからず差がある。自分が実際にやっていることを客観的に把握するというのは案外むずかしい。特に若いときは自分ができていると思いたいし、思いがちだ。
我々の日常でも時には「もう一つの眼」を持つ必要性を感じ実際に持てたらよいのかもしれない。もう一つの眼はなにも画像だけとは限らず、何かをモニタリングしデジタル化した情報でもよい。あるいはアナログな他人の眼と言葉でもよい。時には門外漢と言われるひとたちのバイアスという曇りのない眼が、何かを映し出しあぶり出してくれるかもしれない。
まぁ、とにかく、令和のこの時代にスポーツに励んでいる若者はそんな小難しいことは考えてないであろう。彼らに敬意とエールを送りたい!!