金沢星陵大学女子短期大学部

学長室の窓から

昆虫のアドバイス

9月21日

幼少の頃、カラー版の昆虫図鑑を買ってもらってそれを飽きることなく繰り返し眺めていた。光化学スモック注意報が発令されるような都会に住んでいたので、近所の公園にセミやコオロギはいたが、そんなにたくさんの昆虫には出くわさなかった。金沢に赴任してくるまで羽が黒いトンボを見たことがなかったので、初めてみたときはしばらくずっと動きを追いかけたのをよく覚えている。

分類学者によって意見は違うらしいが、地球上には100万種類以上の昆虫が住んでおり、その数は動物全体の7割以上も占めるという。そんなたくさんの昆虫の中で、いつまでたっても変わらぬ憧れはカブトムシである。図鑑で何度もみて、挙句の果て親に頼み込んでデパートで買ってもらい、たまに気まぐれのように不規則に動く様子を1日中眺めていた。

そんな昆虫好きの私に昆虫という言葉を使ってアドバイスしてくれた人がいた。前職のメーカーの製品開発部に配属された部署のかなり年上の先輩だった。「君はそんな昆虫みたいな生活で、新しい何かを生みだせるのか。」と突然言われたのだ。その当時の私は新入社員にしては、少し難しいテーマを与えられていた。というよりほとんどの制約はなく、新しい製品を生みだすということがテーマだった。何をどうして良いかわからなかったので文献検索や特許検索など毎日結構な数の調査を忙しそうに行い、朝の定時に来て定時に帰るというパターンで数か月を過ごしていた。それでも自分では結構仕事をした気分になっていた。研究開発のメンバーにはフレックス制度という勤務体系がとられていて、自分で出社時間と退社時間を申告して決めてよかった。しかし、私は面倒くささからいつも同じことを繰り返していた。

「昆虫みたいな」の部分の印象が強すぎてその先輩のその後に続く言葉は正確に覚えていない。(彼の中での昆虫はカブトムシみたいなものではなく、規則正しく一定で何かを淡々と繰り返しせわしなく動いているというもので、当時の私は彼にはそのように見えたのかもしれない。)うろ覚えではあるが、クリエイティブな仕事をしたいなら、たまには違う時間の使い方をしたり、違うものを見たり、話したことのない人と話したり、自分のまだ知らない学会に参加してみてはどうかというアドバイスだったように思う。今では明確に、狭い世界だけに閉じこもるな、いつも工夫をして自分を刺激せよという思いやりに満ちたアドバイスだったと思っている。

たぶんこの「昆虫のアドバイス」を境に、私は研究者でクリエイティブでありたいと強く思うようになった。うまくはないコミュニケーションで多くの人と話すようにしたし、様々なものを自分の眼で見て、耳で聴いて肌で感じようとトライするようになったと思う。後に経営学という分野に興味をもち幸いにも職業にできたのも、このアドバイスのおかげなのかもしれない。

その当時からだいぶ時間も経ったし、成果物はずいぶん変わったけれど、いまでも研究者としてクリエイティブな何かを日々追い求めたいと思っている。ちょっとしたことであるが、時間が許せば色々な人に話かけたりするし、違う業界の展示会にも出かけたりする。毎日の車通勤でもわざと違う道を選んで帰ったり、新しい何かが発売されればなんとか手に届く範囲で試そうとしている。自分を閉ざさないために故意に刺激を求めるようにしている。年齢を経るとともにきつくなってきたことも否定はできない。しかし、もしこのような気持ちがなくなったなら、その時は仕事から引退するときだと決めている。