0と1
1月14日
2025年、新しい年となりました。全ての皆さんにとって今年が良い年でありますように。
昨年の能登半島地震、9月の豪雨災害などで亡くなられた方々、被害に遭われた方々に心から哀悼の意を表しお見舞いを申し上げます。30年前の1995年の阪神淡路大震災も経験した私は、昨年の災害で命を永らえたことに感謝し、平凡な何気ない日常が有難いと改めて思い起こしました。大袈裟なことではなく、特別なことではなく、日常の個々人の使命を全うし、少しの思いやりをもつことこそが、ひいては復興につながっていくと考えています。私も微力ながら自分の仕事を全うしていきたいと思っています。
さて、年始ということもあり「1」ということを改めて考えてみたい。年始になぜだか、箱根の大学駅伝をじっと何時間もみてしまう。今年も例年と同じようにテレビの前でじっと観戦していた。解説者によれば5区、6区という山の登り、下りのコースでは特に、1度の経験があるかないかで大きな違いがあるのだそうだ。例えば、最初に飛ばしすぎれば、急激な勾配の上り坂の前にバテてしまうので抑え目で入っていく。また走り登るにつれて気温も下がっていくのでアームウォーマーを装着し、気温が下がる地点にくればそれを伸ばすなどが必要なのだという。頭でわかっているだけでなく、一度経験することで身を持って知り準備もできるのだそうだ。初めて山を走るランナーと1回でも経験のあるランナーではパフォーマンスはかわってくるという。
1を2分の1にすることを何度くりかえしたところで、0には近づくが0にはなりえない。一度なにかをやらかしたとしたら、それはつまり永遠に0にはならない。と、ネガテイブに考えることもできる。しかし、たった一度の経験知も永遠に0とはならない。
積極的に1を経験すること、はじめの一歩を踏み出すのはそれほど簡単なことではない。ずいぶんな勇気と決断がいる場合が多い。けれどその一歩を踏み出さなければ何も始まらない。新しい年、勇気を持って明日への一歩を進めて参りましょう!!
昨年の能登半島地震、9月の豪雨災害などで亡くなられた方々、被害に遭われた方々に心から哀悼の意を表しお見舞いを申し上げます。30年前の1995年の阪神淡路大震災も経験した私は、昨年の災害で命を永らえたことに感謝し、平凡な何気ない日常が有難いと改めて思い起こしました。大袈裟なことではなく、特別なことではなく、日常の個々人の使命を全うし、少しの思いやりをもつことこそが、ひいては復興につながっていくと考えています。私も微力ながら自分の仕事を全うしていきたいと思っています。
さて、年始ということもあり「1」ということを改めて考えてみたい。年始になぜだか、箱根の大学駅伝をじっと何時間もみてしまう。今年も例年と同じようにテレビの前でじっと観戦していた。解説者によれば5区、6区という山の登り、下りのコースでは特に、1度の経験があるかないかで大きな違いがあるのだそうだ。例えば、最初に飛ばしすぎれば、急激な勾配の上り坂の前にバテてしまうので抑え目で入っていく。また走り登るにつれて気温も下がっていくのでアームウォーマーを装着し、気温が下がる地点にくればそれを伸ばすなどが必要なのだという。頭でわかっているだけでなく、一度経験することで身を持って知り準備もできるのだそうだ。初めて山を走るランナーと1回でも経験のあるランナーではパフォーマンスはかわってくるという。
1を2分の1にすることを何度くりかえしたところで、0には近づくが0にはなりえない。一度なにかをやらかしたとしたら、それはつまり永遠に0にはならない。と、ネガテイブに考えることもできる。しかし、たった一度の経験知も永遠に0とはならない。
積極的に1を経験すること、はじめの一歩を踏み出すのはそれほど簡単なことではない。ずいぶんな勇気と決断がいる場合が多い。けれどその一歩を踏み出さなければ何も始まらない。新しい年、勇気を持って明日への一歩を進めて参りましょう!!