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大学生の自由

2022年05月01日 学長コラム

筆者撮影 5月の鯉のぼり ワイヤに繋がれるのは束縛でしょうか?

明治時代から今日まで約140年間、日本の成年年齢は20歳と民法で定められてきましたが、2022年4月1日から、18歳に引き下げられたことは、皆さんご存じの通りです。民法が定めている成年年齢は、「一人で契約をすることができる年齢」という意味と、「父母の親権に服さなくなる年齢」という2つの意味があるそうです。つまり親の同意を得なくても、自分の意思で様々なことができるようになります。

例えば、携帯電話を契約する、一人暮らしのアパートを借りる、クレジットカードを作る、高額な商品をローンを組んで購入することもできます。また、親権に服さなくなるため、自分の住む場所、進学や就職などの進路を自分で決める、10年有効のパスポートを取得したり、公認会計士や司法書士、行政書士などの資格を取得する、結婚も男女ともに18歳以上で可能になります。大学の各種書類から、保護者確認のための署名・押印欄が消える日も来るかもしれません。

もっとも、今回の民法改正では飲酒・喫煙などの健康、競輪・競馬・競艇などの公営ギャンブル(これは「公営競技」という魔訶不思議な名称!)に関する年齢制限は、これまでと変わらず20歳です( 政府広報オンライン)。私はこれこそ余計なお節介だと思わずにはいられないのですが、ひとまず措いておきます…。

要は、18歳成年というのは、大学生が多くの外的束縛から解放され、自由になったことを意味します。確かに、中学高校時代と違って、大学はどの授業をとっても良いし、制服などうるさい決まりもありません。以前から、大学は自由なところですが、何でも好き勝手にできる、今回の民法改正はさらにそれを後押してくれると考えていると、とんでもない結果を生じる場合も出てきます。

例えばある学生、「親は反対していたが、車が欲しかった ⇒ローンを組んで購入した ⇒毎月の支払のためバイトを始めた ⇒時給が高かったので夜遅くまで働くことにした ⇒腹が減るので夜食を食べ、息抜きに明け方までゲームをした ⇒朝は疲れて起きられなかった ⇒8時50分からの講義は欠席した ⇒何回か休んだら講義が分からなくなった ⇒つまらないから更に休みがちになった ⇒単位が取れなかった ⇒…退学した」などという例です。この途中の「…だから、だから」という矢印連鎖は無限に続きます。

親や学校の先生など、うるさく言う「外的な束縛」から解放されて自由になったのをいいことに、実は自分の内面にある我儘や欲望・欲求にがんじがらめに囚われて「不自由」になり、にっちもさっちもいかなくなった例です。

バイトが必要なこともあるでしょう。夜遅くまで起きていることもあるでしょう。でも、どんなに眠くても、それを断ち切って、つまり「内的束縛」から自由になって、朝一番の授業に駆けつけるのが、「自由」人たる大学生の姿です。これができる人が大人であり、大学生です。高校までと違って、大学がいちいちうるさい規則を言わないのは、大学生になったら個人的な欲望・欲求から自由になって、意志強固に自由を実践できるからなのです。大学というのはそのような教員と学生たちの集団なのですね。「皆さんは高校4年生ではありませんよ」と新入生に呼びかけるのもその故です。

このように、自由には「外的束縛からの自由」と「内的束縛からの自由」の2つがあります。人間は奴隷解放など「外的な束縛からの自由」のために戦ってきた長い歴史を有し、それは尊いことなのですが、一方で「内的束縛からの自由」があり、そして決め手になるのは常にこちらの方なのだということもきちんと理解しておきましょう。
参考文献
川原栄峰『哲学入門以前』南窓社、1967(1986)
(川原栄峰先生については、星短「学長室の窓から」2021.11.05「キンモクセイ」参照)