金沢星陵大学女子短期大学部

学長室の窓から

「気象庁のドクタ・イグノランティア」

1月25日

1月15日午後1時頃、南太平洋・トンガ諸島の海底火山が噴火。気象庁は午後7時頃、若干の潮位変化はあるが「被害の心配なし」と発表したものの、翌16日午前0時15分、奄美群島・トカラ列島に津波警報、太平洋側の広い地域に津波注意報を発令、午前2時54分には、岩手県の津波注意報を警報に切り替え、さらに、潮位の変化が落ち着いてきたとして、午前11時20分迄には注意報に切り替えました。このニュースは皆さんもご存じだと思います。

幸い日本では大きな津波被害はなかったのですが、トンガ諸島はじめ世界各地における被害の全貌はまだ明らかになっておりません。被害が軽微であることを祈りつつ、2011年東日本大震災時に寄せられた大きな支援を思い起こし、何か恩返しをしたいものだと思わずにはいられません。

この一連の津波関連のニュースの中で、私が感動したのは、気象庁担当者が会見の席上、今回の諸現象は未知の体験であり、「本当に津波かどうかは分からない」と述べたことでした。

筆者撮影、雲を測る男(金沢21世紀美術館)

本気で考えた末に、「分からない」と発言することには勇気が要ります。気象庁といえども一つの官庁。場合によっては行政上の責任を問われる可能性もあります。現に当初予測と異なった一連の対応変更に対して、「気象庁は恥をかいた」「言い訳」などと揶揄する報道もあります。

しかし、分からないことは厳然としてあるのです。気象庁が言うように、地球の自然現象ですら、未知の現象が多くあって、完全には分からないのです。「ホモ・サピエンス(知恵あるヒト)」などというものの、我々が知っていることは微々たるもの。分からないことのほうがはるかに多いのです。

紀元前、古代ギリシャの哲学者ソクラテスは「無知の知」と呼び、中世ドイツの哲学・神学者ニコラウス・クザーヌス(1401-1464)は「ドクタ・イグノランティアdocta ignorantia(知性ある無知)」と名付けました。知恵がある状態とは、無知を内包することなのだという意味です。つまり、「分からない」というのはより大きな知性なのです。

戦時中、情報の改竄(かいざん)・隠蔽(いんぺい)・捏造(ねつぞう)を繰り返した大本営発表。今だったら「フェイクニュース」「大嘘だらけ」と言われるでしょう。2011年の東日本大震災時の福島原発事故においても、政府発表では「何が起きているのか分かりません」とは言わず、「安全です」「健全性は保たれています」でした。こうして言葉が現実から遊離するとともに、どんどん力を失っていきます。近年のコロナ感染対策もその類かと、人々は半信半疑に陥っているように見えます。

こうした中で、勇気をもって「分かりません」と断言した気象庁の発表には、久々に言葉の力を取り戻す誠実さと謙虚さが感じられました。さすがに、日本の気象学の精鋭を選りすぐった科学者集団です。恥や言い訳どころか、その誠実な態度と知的水準の高さに、心からの拍手と敬意を表したいと思います。

今回気象庁が見せてくれた「ドクタ・イグノランティア」。真理を探究する場としての大学の教育と研究にこそ活かしたいものです。