金沢星陵大学女子短期大学部

学長室の窓から

「凍み渡り」

2月5日

東北の積雪寒冷地帯で育った私は、春の訪れを先ず「つらら」と「凍み渡り」に感じます。屋根やひさしに積もった雪が春の陽射しで溶け、「つらら」になって垂れ下がります。日中、長くなったつららの先から、水がぽたりぽたりと絶え間なく、にぎやかな音を奏で、時々屋根雪がどさりと滑り落ちる音もエネルギーにあふれています。

けれど、陽が落ちると、たちまちに冷えて、いつの間にか音が聞こえなくなります。空には冴え冴えとしたオリオン座が三ツ星をまっすぐに縦に並べて上がってきます。

雪とくる音絶え星座あがりけり(前田普羅、1884-1954)

筆者撮影、浅野川遊歩道

「凍み渡り」とは、溶けかけた雪が夜間の冷えで凍り、堅くなった状態の雪原を歩くことを言います。「堅雪渡り」とも言い、宮沢賢治(1896-1933)は「雪渡り」と童話にしています。

雪がすっかり凍って大理石よりも堅くなり、空も冷たい滑らかな青い石の板で出来てゐるらしいのです。(略)/「堅雪かんこ、しみ雪しんこ。」/四郎とかん子とは小さな雪沓ゆきぐつをはいてキックキックキック、野原に出ました。/ こんな面白い日が、またとあるでせうか。いつもは歩けない黍きびの畑の中でも、すすきで一杯だった野原の上でも、すきな方へどこ迄まででも行けるのです。平らなことはまるで一枚の板です。そしてそれが沢山の小さな小さな鏡のやうにキラキラキラキラ光るのです。(略)
(宮沢賢治「雪渡り」より)


朝の最低気温が氷点下になることすらめったにない金沢市内では、この2つともなかなか経験することはありません。

1月下旬のある日、数日来の雪が氷点下1度の朝の冷え込みで少し締まりました。6時過ぎ、浅野川沿いへ散歩に出ると、ヘッドランプに照らされた雪の表面はキラキラと小さな星くずをまぶしたように輝きます。東の山瑞に近い空には、明けの明星・金星が驚くほどまぶしく輝いています。このビーナスに導かれるように、普段は歩けない雪に覆われた川原に足を踏み出しました。時々ゴム長靴がずぼっとめり込んで長くは歩けなかったのですが、久しぶりに「凍み渡り」を味わうことができました。

冬来たりなば春遠からじ。春を予感させる、むしょうに懐かしい朝でした。