金沢星陵大学女子短期大学部

学長コラム

あの夏の饅頭

7月6日

 私はどちらかといえばせっかちな性分で、日頃から効率や合理性を追い求めてしまう。朝起きれば、ほぼ決まりきったルーティーンを淡々とこなし、その日最初の仕事へ向かう。予定はできるだけ詰め込みたいし、無駄のない時間を過ごすことは決して悪いことではないと思っている。
 そんな私が最近、テレビで一つのCMを目にした。歩いている女性が「どこへ行くの?」と尋ねられ、「実家の母にお中元の素麺を届けに行くの」と答えるCMだ。今では、お中元やお歳暮もネットで注文し、宅配便で届けるのが当たり前になった。それが最も合理的で、忙しい現代にはふさわしいやり方なのだろう。
 だが、そのCMを見ているうちに、子どもの頃の夏を思い出した。両親に連れられ、一軒一軒お宅を訪ねてご挨拶をしながら品物を届けたこと。逆に我が家にも何人もの方が訪ねて来られ、進物の包みを開けるたび、普段は目にしない珍しい品に胸を躍らせたこと。忙しさと引き換えに、あの独特の空気感は、いつの間にか暮らしの中から姿を消してしまったように思う。
 そんな「ひと手間」の記憶をたどっているうちに、この街・金沢で迎えた最初の夏のことが鮮やかによみがえってきた。忘れもしない、赴任して三か月ほど経った七月一日、「氷室の日」である。
 外から来た私にとって、金沢には独特のしきたりや、どこか保守的な土地柄があり、正直なところ少し息苦しさも感じていた。そんな日に、思いがけない訪問者があった。学園の役員の方が、わざわざ研究室まで足を運び、「もう本学には慣れられましたか」と声を掛けながら、無病息災を願う氷室まんじゅうを手渡してくださった。鮮やかな緑色だったことを、今でもよく覚えている。
 その頃の私は、氷室まんじゅうの由来など知る由もない。甘い物もほとんど口にしなかったし、役員の方が突然研究室へ来られたので、「何か失礼でもあったのだろうか」と身構えたくらいだった。けれど、お見送りをしたあと、不思議と笑顔になっている自分に気づいた。保守的だと思っていたこの街には、形式だけの贈答ではなく、一人ひとりに手間をかけ、人を思いやる文化がちゃんと息づいていたのだ。なんだか心地よく、「一本取られた」ような気がした

 あれから何年もの月日が流れた。今では私も、毎年、周りの方々へ少しずつ氷室まんじゅうを届けている。研究室を訪ねると、先生方は決まって少し驚いたような顔をされる。それがまた何とも面白い。そして、まんじゅうを手渡す頃には、皆さん笑顔になってくださる。 やはり、人が足を運び、手から手へ渡すものには、宅配では届けられない温もりがあるのだと思う。
 そんなことを考えていると、もう一つのCMが頭の中でつながった。男性が大切そうにレコードをブラシで磨いている。それを見た女性が、「面倒じゃないですか」と尋ねる。すると男性は、「面倒なのが、いいんだよ」と静かに答える。その一言が、不思議なくらい心に残った。
 効率や生産性は、これからも仕事では追い求めていくだろう。けれど、人の暮らしまで効率だけで測ってしまえば、きっと味気ない。
 遠回りに見えること。少し面倒に思えること。そんな「ひと手間」の中にこそ、人を笑顔にし、その土地の文化を受け継いでいく力があるのかもしれない。これからも、少しだけ面倒な「ひと手間」を楽しみながら生きていきたい。