美を磨く
8月6日
合気道のお稽古を始めて、15年以上になる。最近では初心者のみなさんにアドバイスをする機会も増え、ようやく少しは様になってきたのかもしれない。誰かに教える立場になって初めて気づくことも多く、私自身が改めて学び直す日々でもある。
長らく続けていると、かつては見えなかった色々なものが見えるようになってくるから不思議だ。
上級者たちが動く姿を見ていると、それぞれに個性がありながらも、例外なく美しい。立ち姿、静坐(せいざ)、その一つひとつの所作にまで意識が行き届いている。動作も単に速いだけではない。ピタリと静止したかのように見える瞬間もあれば、驚くほど速い動きもある。足さばきをはじめとするすべての挙動に無駄がなく、見事に制御されている。そこには心地よいリズムやグルーヴ感すら漂い、どこか楽しそうにさえ映る。力を込めるのではなく、むしろ力を抜くことで生まれるその躍動感には、思わず見惚れてしまう。
ふと考えると、これは日々の仕事や経営における「達人」たちの振る舞いにも、実によく似ている。膨大な業務を高い精度で処理しながら、突発的なトラブルや変化にも焦ることなく冷静に対応する。誰に対しても等しく紳士的で、スカッと上手に休息を挟みつつ、周囲と見事に調和しながら目的に向かって淡々と着実に成果を上げていく。彼らにもまた独特のリズムがあり、真剣な眼差しの中にも、仕事そのものを心から楽しんでいるような余裕と風情が漂っている。
合気道の上級者も、仕事のエキスパートも、言うまでもなく一朝一夕でその域に達したわけではないであろう。合気道なら、適切な間合い、呼吸を整え、余計な肩の力を抜くこと。仕事なら、例えば期限や約束を守ること、相手の立場に立って考えること、そして成果を意識し続けること。さらに、両者に共通するのは情熱と冷静さである。一見すると地味に見える基本的な稽古や修練、日々の愚直な実践の積み重ねがあってこそ、あの見た目に美しく、活き活きとした佇まいが生まれるのだろう。
私も日々の小さな一歩を大切にしながら、ちょっとでも美しさに近づきたいものである。
長らく続けていると、かつては見えなかった色々なものが見えるようになってくるから不思議だ。
上級者たちが動く姿を見ていると、それぞれに個性がありながらも、例外なく美しい。立ち姿、静坐(せいざ)、その一つひとつの所作にまで意識が行き届いている。動作も単に速いだけではない。ピタリと静止したかのように見える瞬間もあれば、驚くほど速い動きもある。足さばきをはじめとするすべての挙動に無駄がなく、見事に制御されている。そこには心地よいリズムやグルーヴ感すら漂い、どこか楽しそうにさえ映る。力を込めるのではなく、むしろ力を抜くことで生まれるその躍動感には、思わず見惚れてしまう。
ふと考えると、これは日々の仕事や経営における「達人」たちの振る舞いにも、実によく似ている。膨大な業務を高い精度で処理しながら、突発的なトラブルや変化にも焦ることなく冷静に対応する。誰に対しても等しく紳士的で、スカッと上手に休息を挟みつつ、周囲と見事に調和しながら目的に向かって淡々と着実に成果を上げていく。彼らにもまた独特のリズムがあり、真剣な眼差しの中にも、仕事そのものを心から楽しんでいるような余裕と風情が漂っている。
合気道の上級者も、仕事のエキスパートも、言うまでもなく一朝一夕でその域に達したわけではないであろう。合気道なら、適切な間合い、呼吸を整え、余計な肩の力を抜くこと。仕事なら、例えば期限や約束を守ること、相手の立場に立って考えること、そして成果を意識し続けること。さらに、両者に共通するのは情熱と冷静さである。一見すると地味に見える基本的な稽古や修練、日々の愚直な実践の積み重ねがあってこそ、あの見た目に美しく、活き活きとした佇まいが生まれるのだろう。
私も日々の小さな一歩を大切にしながら、ちょっとでも美しさに近づきたいものである。
