金沢星陵大学女子短期大学部

学長室の窓から

「『いいね!』ボタン」

10月25日

「いいね!」ボタンはSNS上で特定のコンテンツが、好き、楽しい、支持できるといった意思を示すためのコミュニケーションソフトウェアの機能なのだそうです。もっとも最近では単に「見たよ!」の代わりでしかない使い方に変わってきているかもしれませんというのは、情報に詳しい若手の先生から伺ったことです。

私は一度も押したことがありません。そもそもコミュニケーション・ツールとしてあまりにも単純で信頼できませんし、批判的思考(クリティカル・シンキング)とは真逆の機能としか見えないからです。

ちなみに批判的思考というのは「相手を非難する」という意味ではなく、自分の考え方や論理を意識的に分析・検討するという意味。カントが『純粋理性批判』『実践理性批判』と言う時の「批判」です。京都大学大学院教育学研究科の楠見孝先生(2011)によると、批判的思考とは、「論理的・合理的思考であり、規準(クライテリア)に従う思考」であり、「より良い思考をおこなうために、目標や文脈に応じて実行される目標志向的思考」であって、決して他者を攻撃するというようなネガティブな思考ではありません。そしてもう一つの観点が、「批判的思考とは、自分の推論プロセスを意識的に吟味する内省的(リフレクティブ)・熟慮的思考である」というものです。

このように、批判的思考力はより良い思考をおこなうため、他者および自分に対して広く使われます。分かり易く言うと、相手の言うこともしくは自分の主張が「本当にこれで正しいのか」という視点を持って物事を見ることで、より正しい論理につなげていく思考法のことになります。するとその出発点には、「そもそも前提となっているその前提を疑う」ことがなければなりません。デカルトの「われ思う。故にわれあり」、方法的懐疑と同じです。

筆者撮影、「君たち、クリティカル・シンキング?」(浅野川にて)

大体において、世の中の諸問題や現象は複合的かつ多面的な要素から成り立っています。その中に問題があることに気づいた(問題発見)として、神や仏など総合的かつ直観的洞察能力があれば、その本質と問題点を直ちにかつ一気に解決できるかもしれませんが、われわれ人間は、多様かつ複雑な問題を人間的なレベルで解決可能な段階まで単純化、ないし低次のレベルまで落とし込み、整理しながら解決するしかありません(人間の持っている問題解決能力はそのような限界を有しています)。

そのプロセスの途上で、さまざまの現実(リアル)がそぎ落とされ、解決しようとしている問題は、もともとあったリアルとは異なったものとなっていることが多いものです。分かり易く例えてみましょう。プロ野球やサッカーなど、スポーツの世界では、勝負がかかったここぞという大事な場面で、期待に応えられない選手がでてきます。「下手くそ!」「あり得ない!」「背信!」。たちまちSNS上にその場面や写真が投稿され、それを見た人も気軽に「いいね!」のボタンをクリックしてい(るように思え)ます。見る人々にはバーチャルな空間に過ぎないからです。でもその向こうには、汗や涙、関節のきしみ、筋肉の痛み、胸が焼け付くような自責と悔恨、屈辱感、期待に応えられなかった苦悩に打ちひしがれる選手のリアルな世界があります。若い時分にスポーツに真剣に取り組んだ経験がある人には実感として体に染みついているリアルでしょう。

「いいね!」ボタンを押す前に、その背景にあるリアルに想いを馳せてみませんか。あるいは自身を当事者に置き換えて考える内省的思考(リフレクション)を取り込んで、クリティカル・シンキングをしてみませんか。それが今大学生に求められている力です。
参考文献
楠見孝・子安増生・道田泰司『批判的思考力を育む 学士力と社会人基礎力の基盤形成』有斐閣、2011
大谷大学(京都)はすでに「“いいね!”で、いいのか」(大谷大学からのメッセージ/Vol.2)を発しておられました。敬意を表しつつ、以下に紹介させていただきます。
https://www.otani.ac.jp/movie/nab3mq000007urtr.html