金沢星陵大学女子短期大学部

学長室の窓から

「キンモクセイ」

11月5日

10月下旬。浅野川沿いのキンモクセイが、黄金色の花とともに甘い香りを漂わせ、秋の深まりを告げています。毎朝6時のウオーキング出発時は気温が12度前後、少し肌寒さを感じますが、10分ほどすると体も温まり、その頃、東南の山端をシルエットに染めて日の出を迎えます。この旭光をほぼ横から受けて、2~3メートルと比較的低木のキンモクセイたちは、いっそう鮮やかに輝き、優しい芳香を放ちます。

キンモクセイは私にとっては20歳台の「修行・遍歴時代」を思い起こさせる、ちょっと切ない花です。

25歳当時の私は、昼働いて学費を稼ぎ、新宿区戸塚キャンパスにある早稲田大学の夜間学部に通っていました。将来への展望など全く持てず、「死ぬまでが一生だ」といわば精神的その日暮らし。

筆者撮影、浅野川沿いのキンモクセイ

授業で一番感激したのは川原栄峰先生の哲学でした。ニーチェ『このようにツァラトゥストラは語った』のクレーナー版ドイツ語原書と訳本(吉沢伝三郎訳、講談社文庫)を一応事前に目を通し、「分からない、分からない」とぼんくら頭を呪詛しながら講義に駆け付け、明るい笑顔と共に平明にして分かりやすい先生の解説が加わると、「あーそういうことだったのだ」と分かったような気にさせられるから不思議でした。一番遅い講義が終わる22時10分過ぎ、街灯に照らされた校舎から正門へ向かうキャンパス内下りスロープをその日の講義『ツァラトゥストラ』第2部(3)「同情深い者たちについて」の一節、「人間の中の最大のものでさえ、それは『あまりに人間的である』allzumenschlich!(アルツーメンシュリッヒ)」の言葉を反芻しながら歩いていると、突然暗闇からキンモクセイが香ってきたのでした。ちょうど10月の秋風の頃だったのでしょう。街灯奥の暗がりにあるため、樹影は定かではありません。ただその香りの存在感の確かさに不意を打たれた思いがありました。

4年間(先生が途中1年間ドイツに留学された時、別の先生が代講されましたから実質3年間)、単位は取ったはずなのに、真ん中より少し後ろの目立たない(と私が考えた)端っこの席に座り続ける変な学生に先生は気づかれて、ある時声をかけて下さいました。先生にとっては、何万人もおられる受講生の一人にすぎなかったでしょうに、私には無上の光栄でした。あの一声のおかげをもって、私は「智を愛する」ことの魅力を深くし、また土曜勉強会と、お昼には少しのビールをいただきながら、先生を囲んでゼミ生の皆さんとの会話に加えていただく機会をいただきました。

その後、私は哲学とは別の道の大学院に進み、川原先生にお目にかかることもなくなりました。しかし先生は新しいご本を上梓される毎、私ごときまで「恵存」と署名して送ってくださり、私はその都度ありがたくて、もったいなくて、伏し拝みながら読んだことです。でも少し専門的になるとぼんくらには歯が立ちません。そのたびに川原先生のカントやニーチェの哲学解説はとてつもなくすばらしかったなぁと遠い日を思い起こします。

川原先生は1921(大正10)年、徳島県板野郡上板町にある六番札所、真言宗安楽寺の御出身。だから西洋哲学を仏教と対比しつつわかりやすく解説できたのでしょう。ハイデガーやニーチェの専門家です。2007(平成19)年、85歳でご逝去されたとの由。2018年に徳島市で学会があり、半日足を延ばして安楽寺を訪問。御住職に事情を話して寺内をお参りさせていただき、川原先生のご位牌に手を合わせ、般若心経を唱えて、これまでの感謝とご冥福をお祈りさせていただきました。

川原先生との出会い。キンモクセイの香りとともに思い出す、私の若き「修行・遍歴時代」の懐かしくも少し切ない思い出です。