金沢星陵大学女子短期大学部

学長室の窓から

朝焼け

11月15日

毎朝6時から浅野川沿いの遊歩道を1時間ほど歩きます。散歩する人、ジョッギングをする人、犬を散歩をさせる人、ほぼ毎日定時に行き会いますから、いつの間にか挨拶や声を掛け合うことに。人間よりも先に犬と知り合いになって、犬のほうから尻尾を振ってじゃれてくることも。晩秋の紅葉、落ち葉が降りしきる美しい季節、「遊歩道」というのは実にかけがいのない共同空間「コモンズ」です。

遊歩道の所々にアジサイの植え込みがあります。通常、家庭のアジサイの花は咲き終わりの7月中旬頃に、花を切り落とす「花後剪定」して来期の花芽を育てるらしいのですが、遊歩道のそれは自然に任せているようです。面白いことに気づきました。アジサイの花は目の醒めるような青紫色で、とても大きな存在感があるのですが、少しずつ色が褪めて緑や茶色に同化し、いつの間にか目立たなくなるのです。それでもまだ花は残っています。

筆者撮影 浅野川の川面に映る日の出直前の朝焼け(新田上橋付近)

以前触れたことがありますが、私は「流星碑」が大好きです。
「高等学校の学生の頃、日本海の砂丘の上で、ひとりマントに身を包み、仰向けに横たわって、星の流れるのを見たことがある。十一月の凍った星座から、一条の青光をひらめかし、忽然とかき消えたその星の孤独な所行ほど、強く私の青春の魂をゆり動かしたものはなかった。 それから半世紀、命あって、若き日と同じように、十一月の日本海の砂丘の上に横たわって、長く尾を曳いて疾走する星を見る。併し心打たれるのは、その孤独な所行ではなく、ひとり恒星群から脱落し、天体を落下する星というものの終焉のみごとさ、そのおどろくべき清潔さであった。」(2021.11.15〈学長室の窓から〉「流星祭」参照)

「流星」もいいのですが、アジサイのようにいつの間にか少しずつ色が褪めて緑や茶色に同化し、いつの間にか目立たなくなって消えていく、そんな自然回帰もいいなあと思わされたことでした。