紙ナプキンのメモ
11月13日
現在のNHKの朝ドラの舞台は九州の街であるが、そのほど近くにある大学に出張に出かけた。会場となったのはその大学の講堂。全体が直径100mの円形で、最大で約3,000人収容でき、入学式、学位記授与式はもちろん、今回のような各種研究会・学会にも利用されている。大会のプログラムの一つでこの講堂の設計者のお話を伺うことができた。設計者は大学の学長もされている有名な建築家である。この建築家の話で感銘を受けたことがいくつかあったが、そのうちの1つがアイデアをどのように生み出すのかということについてであった。
ある建築物の設計の依頼を受けていたときのこと、ご家族と一緒にファミレスに出かけたそうである。ファミレスでお子さんたちと楽しく会話し食事しているときに、ふと思いついた絵があり、備えてあった紙ナプキンに書き留めたそうである。実際にその時の紙ナプキンの画像を見せていただいだが、最終的な建築物の原案というのが一目でわかるものであった。
このエピソードを聞いて、私は社会人大学院生として働きながら経営学を学んでいた時期を思い出した。
仕事を終えたあとに、指導教員の自宅近くまで急いで電車で向かう。到着した時にはもう夕食には充分な時間なので、いつもどこかのお店で食事をしながらということが多かった。今はもう廃業してしまって残念だが、京都の錦市場の近くにあった中華料理屋をよく利用した。自分で書いてきたものを先生に見せてコメントをいただき、それをノートに書きとめる。ラストオーダーの時刻も過ぎて閉店の5分前ぐらいにお店を出たということも度々。横のテーブルのお客さんは二回ぐらい変わっていたように思う。先生は運ばれてきた料理を食べて、書いてきたものについて一通りコメントをくださった。その後、決まって紹興酒を召し上がり、好きな音楽、ワイン、映画、そして今日の料理の話など色々とお話くださった。私ももう指導が終わったのだと思い相槌をうったり話したりしていた。
ある建築物の設計の依頼を受けていたときのこと、ご家族と一緒にファミレスに出かけたそうである。ファミレスでお子さんたちと楽しく会話し食事しているときに、ふと思いついた絵があり、備えてあった紙ナプキンに書き留めたそうである。実際にその時の紙ナプキンの画像を見せていただいだが、最終的な建築物の原案というのが一目でわかるものであった。
このエピソードを聞いて、私は社会人大学院生として働きながら経営学を学んでいた時期を思い出した。
仕事を終えたあとに、指導教員の自宅近くまで急いで電車で向かう。到着した時にはもう夕食には充分な時間なので、いつもどこかのお店で食事をしながらということが多かった。今はもう廃業してしまって残念だが、京都の錦市場の近くにあった中華料理屋をよく利用した。自分で書いてきたものを先生に見せてコメントをいただき、それをノートに書きとめる。ラストオーダーの時刻も過ぎて閉店の5分前ぐらいにお店を出たということも度々。横のテーブルのお客さんは二回ぐらい変わっていたように思う。先生は運ばれてきた料理を食べて、書いてきたものについて一通りコメントをくださった。その後、決まって紹興酒を召し上がり、好きな音楽、ワイン、映画、そして今日の料理の話など色々とお話くださった。私ももう指導が終わったのだと思い相槌をうったり話したりしていた。
筆者撮影
しかし、ここからが勝負の時間となる。私の話を聞きながら、そして紹興酒のグラスを眺めながら、突然また研究の話しに戻って延々と語りだすことがあった。いつもではなかったけれど「なるほど」と思うようなことを決められていた台詞のようにスラスラと話された。最初の頃はわからなかったので、もうすでにお腹がいっぱいになってノートも閉じてボーっとしていた。ハッとして、備え付けの紙ナプキンに自分にしかわからない字でメモしたことも1度や2度ではない。今にして思えばその紙ナプキンに書いたことがその後の研究の大きなヒントとなるアイデアやキーワードとなっていったように思う。
パソコンやスマートフォンで書いた整った文字でももちろんOKであるが、紙ナプキンや紙片のようなものにちょこちょこと汚い字で書いたメモが、意外と役立つこともあるかもしれない。文書までいかなくとも単語や、時にわけのわからない絵や図のようなものでも。
私の研究室には、壁に貼り付けたホワイトボードシートが何枚かあって、そこに書くこともある。人に説明するためや忘れないために書くこともあるが、まとまった考えまではいかない、まだ妄想段階の何かの考えを膨らますために使っていることもある。
パソコンやスマートフォンで書いた整った文字でももちろんOKであるが、紙ナプキンや紙片のようなものにちょこちょこと汚い字で書いたメモが、意外と役立つこともあるかもしれない。文書までいかなくとも単語や、時にわけのわからない絵や図のようなものでも。
私の研究室には、壁に貼り付けたホワイトボードシートが何枚かあって、そこに書くこともある。人に説明するためや忘れないために書くこともあるが、まとまった考えまではいかない、まだ妄想段階の何かの考えを膨らますために使っていることもある。