現場感覚
7月23日
現在の刑事ドラマは、スマートな科学捜査に関するものが多く、なるほどと納得させられるものが多い。ひと昔前はどろくさい刑事が登場して「現場100回」とか「現場に帰れ」というセリフをよく耳にした。刑事たちの現場での感覚が事件解決の鍵を握る話が多かった。私もどろくさく「現場」で感じたり、得られたりする感覚をとても大切にしている。
現場の意味はそれぞれの職業・職種等によって違ってくるであろう。私の場合、メーカーで長らく研究開発にいたので「現場」を大きく二つの意味で捉えていた。
一つ目の現場は実際の製造がおこなわれる工場である。「実際に工場で製造できるのか」ということは常に頭の片隅においていた。研究室で検討した化粧品、歯磨き、野菜ジュースの処方(レシピと考えていただきたい)は通常は1リットル以下の小さなビーカーのスケールで試作する。時にはその試作数は、何百に至るときもある。そして目途がついたら何段階かのスケールをアップする試験を経て工場で生産することになる。スケールが大きくなるにつれて難しさが増すことも多分にある。ビーカーでの試作では小さな棒で簡単に程よい力で攪拌できるが、1トンの生産機では攪拌する棒や羽の力が非常に強力なので、クリームを製造しているのに乳液ぐらいの粘度になってしまうというようなことが起こりうるのだ。そのときに頼りになるのは、何度もその工場の生産機で製造した経験からくる感覚的な微修正である。事前にスケールアップ試験などの検討をいくら積み重ねても、理論上の計算でも、ベテランの製造担当者や経験者の肌感覚にはかなわないこともある。特に色の調整の必要があるファンデーションの製造についてはそうだったことをなつかしく思いだす。
もう一つの現場は、製品が販売される実際の店頭である。自分たちの製品が並ぶあるいは並ぶ可能性のある店頭に実際に行って、自社製品や競合品をみるようにしていた。店頭に足を運ぶことでわかることが色々とある。例えば、自社製品を単独で見ていた時は結構目立つパッケージデザインであると思っていても、実際に競合品とともに棚に並ぶと全然目立たなかったりする。競合品に小さなポップシールが貼られているだけで、まったく霞んでしまうこともある。
工場の生産に臨むにあたっては理論上の計算もするし、商品の棚をパソコン上で競合品とともに並べてシュミレーションしたりもする。しかし、実際の現場に至って、そこで感じ取って微修正を行い、なんとか乗り切るということで救われたことも度々あった。
そして今も様々な現場で得られる感覚を大切にしている。現在の最も大切な現場の一つは、学生たちと直接コミュニケーションする場である。残念ながらゼミナールを持つことはなくなったので、少人数で深堀して考えを聴くことはできなくなった。それでも講義で多くの学生たちとコミュニケーションすることはとても参考になる。数年前に日本企業の説明をしていて、学生たちと話が食い違うので詳しく聞いてみた。私が家電のメーカーとして説明していたその企業を、学生たちは損害保険会社と認識していたのだ。これにはとても驚いた。学生たちの今を知ろうとすることはとても大切だなと感じた。
最近、新な現場にもお邪魔をしている。学生たちを送り込んでいただく、高等学校の先生たちとの意見交換の場である。先生たちの苦労や工夫をきくことで、時におどろき気づきも与えてもらい、刺激をいただいている。今後はさらに学生たちが卒業後にお世話になっている企業にも訪問してその現場の声から勉強させていただこうと思う。
一般化された理論や加工された情報は便利である。それらは大いに利用すればいいと思うし、実際に利用している。それらに加えて私は「現場の感覚」というのを大切にして、変化を肌で感じて、日々をいつまでもどろくさく送っていきたいものである。
現場の意味はそれぞれの職業・職種等によって違ってくるであろう。私の場合、メーカーで長らく研究開発にいたので「現場」を大きく二つの意味で捉えていた。
一つ目の現場は実際の製造がおこなわれる工場である。「実際に工場で製造できるのか」ということは常に頭の片隅においていた。研究室で検討した化粧品、歯磨き、野菜ジュースの処方(レシピと考えていただきたい)は通常は1リットル以下の小さなビーカーのスケールで試作する。時にはその試作数は、何百に至るときもある。そして目途がついたら何段階かのスケールをアップする試験を経て工場で生産することになる。スケールが大きくなるにつれて難しさが増すことも多分にある。ビーカーでの試作では小さな棒で簡単に程よい力で攪拌できるが、1トンの生産機では攪拌する棒や羽の力が非常に強力なので、クリームを製造しているのに乳液ぐらいの粘度になってしまうというようなことが起こりうるのだ。そのときに頼りになるのは、何度もその工場の生産機で製造した経験からくる感覚的な微修正である。事前にスケールアップ試験などの検討をいくら積み重ねても、理論上の計算でも、ベテランの製造担当者や経験者の肌感覚にはかなわないこともある。特に色の調整の必要があるファンデーションの製造についてはそうだったことをなつかしく思いだす。
もう一つの現場は、製品が販売される実際の店頭である。自分たちの製品が並ぶあるいは並ぶ可能性のある店頭に実際に行って、自社製品や競合品をみるようにしていた。店頭に足を運ぶことでわかることが色々とある。例えば、自社製品を単独で見ていた時は結構目立つパッケージデザインであると思っていても、実際に競合品とともに棚に並ぶと全然目立たなかったりする。競合品に小さなポップシールが貼られているだけで、まったく霞んでしまうこともある。
工場の生産に臨むにあたっては理論上の計算もするし、商品の棚をパソコン上で競合品とともに並べてシュミレーションしたりもする。しかし、実際の現場に至って、そこで感じ取って微修正を行い、なんとか乗り切るということで救われたことも度々あった。
そして今も様々な現場で得られる感覚を大切にしている。現在の最も大切な現場の一つは、学生たちと直接コミュニケーションする場である。残念ながらゼミナールを持つことはなくなったので、少人数で深堀して考えを聴くことはできなくなった。それでも講義で多くの学生たちとコミュニケーションすることはとても参考になる。数年前に日本企業の説明をしていて、学生たちと話が食い違うので詳しく聞いてみた。私が家電のメーカーとして説明していたその企業を、学生たちは損害保険会社と認識していたのだ。これにはとても驚いた。学生たちの今を知ろうとすることはとても大切だなと感じた。
最近、新な現場にもお邪魔をしている。学生たちを送り込んでいただく、高等学校の先生たちとの意見交換の場である。先生たちの苦労や工夫をきくことで、時におどろき気づきも与えてもらい、刺激をいただいている。今後はさらに学生たちが卒業後にお世話になっている企業にも訪問してその現場の声から勉強させていただこうと思う。
一般化された理論や加工された情報は便利である。それらは大いに利用すればいいと思うし、実際に利用している。それらに加えて私は「現場の感覚」というのを大切にして、変化を肌で感じて、日々をいつまでもどろくさく送っていきたいものである。