金沢星陵大学女子短期大学部

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「天然のスケートリンク」

2月25日

2022年北京冬季オリンピックを見ていると、スポーツの力と背後にある国家の権力や威信との愛情と嫌悪を感じて、オリンピックは誰のためにやっているのだろうと思わずにはいられません。

そもそも雪の少ない所に大量の人工雪を降らせて、巨大な競技会場を設営するというのは、巨大国家の力ずくの発想。SDGsとは逆行する思想です。選手間の競争を通じた連帯というよりは、現実的に国家間の威信をかけた争いになっているようにさえ見えます。

2022.8.5「クーベルタンのオリンピズム(その2)『無知』」でも触れましたように、「オリンピック競技大会は、個人種目または団体種目での選手間の競争であり、国家間の競争ではない(1-6-1)」のです。2018年、ある国際会議で、私はこのままでは「近代オリンピックは終焉」を迎えるのではないかと警鐘を鳴らしたことがありますが、それはこうした国家によるオリンピックの政治利用と商業主義が一体になった祝祭資本主義への懸念からでした。

筆者撮影、愛用のスケート靴

かつて、私が子どもだった半世紀以上も前のことですが、北海道や東北、信州・関東北部の小学校では、冬になると湖や池、学校の校庭、田んぼなどで天然のスケートリンクが作られていました。今でも一部では続けられているそうです。(web「気温-15℃ 深夜のリンクで汗を流す」

12月、最低気温が氷点下に下がる、「凍(しば)れる」季節になると、夕方、学校の先生や保護者が交替で水を撒き、毎日少しずつ薄い氷を張り、次第に厚くして10センチ位のリンクに仕上げていきます。日中は青空、夜は星空と暗い電灯の下で、2月くらいまで滑って遊ぶことができたと思います。もちろん誰でも勝手に滑ることができ、また教える人もいません。疲れて、飽きたら帰ります。

天然リンクのわきには七輪コンロの上に、やかんやお汁粉の鍋がかけられ、それをいただくのも夜スケートに出かける楽しみの一つでもありました。
今回のオリンピックで、フィギュアスケート羽生結弦選手のスケートが氷の穴に引っ掛かったことが話題になりました。天然リンクでも気温が上がって氷が緩んだり、転倒すると、穴や傷はよくできます。これには修復方法があるのです。それはその部分にやかんで熱湯をたらし、瞬間的に氷を溶かして穴をふさぎ、盛り上がった氷をノミのような刃物で平らに削り取るのです。ザンボニーという整氷機械がありますが、あれも原理的には同じことなのでしょう。

現在は、屋内・屋外の人工スケート場が各地に整備されましたが、以前は、北海道各地、盛岡市の高松の池、八戸市の長根リンク、長野県の諏訪湖、軽井沢町の塩沢湖など、かつての屋外天然リンクはスケートのメッカとして有名でした。今は安全対策上、スケート場としては利用できないのかもしれません。

機会があれば、小学校の校庭リンクも含めて屋外天然リンクのすばらしさ、自然と一体になる解放感を味わってみたいものです。プールで泳ぐのと海や川で泳ぐことの醍醐味の違いかもしれません。

今回の冬季オリンピックを見ていて、勝利を目指す競技化が加速するスポーツの世界に新たな価値観を導入する為にも、SDGsの発想は取り入れられるべきかもしれないと思ったことでした。