金沢星陵大学女子短期大学部

学長室の窓から

「蓮の花(その1)『三寸金蓮』」

6月25日

本学キャンパスのある金沢市御所町近辺には蓮池が点在します。夏の訪れとともに、ピンクや白い花が開き始めました。蓮の花言葉は「清らかな心」「神聖」。泥の中から、清らかな美しい花を咲かせるため、仏教では極楽を象徴する花とされます。
 
今回は、この蓮の花を見ると連想せずにはいられない、怖い怖いお話です。「三寸金蓮」(さんずんきんれん)、大きさ約9センチの黄金色の蓮の花びらの意味ですが、「纏足」(てんそく)の理想形を言います。纏足とは、足を布でギュッと巻き付けたもの、英語でfoot bindingという方が分かり易いかもしれません。
 
中国では古代から、小さな足の女性は美しいとされ、その理想形が蓮の花に譬えられ、「三寸金蓮」と称賛されたのでした。もちろん、自然にそうなるわけがありません。4~5歳の幼女の頃から、親指を残して足の指を裏側に巻き込み、布できつく縛りあげて、発育を阻害、最終的には骨変形させてしまう、現代のわれわれからすると、卒倒しそうなほど残酷な身体加工の一種です。もちろん痛みも伴うため、アヘンが用いられたとも言います。美しい小さな纏足用の靴を履いても、ヨチヨチ歩きしかできず、跳躍や走ることは困難です。それが働く必要のない富裕家庭の証であり、婚姻とも関係したが故に、なかなか解消しなかったといわれます。
 

筆者撮影、奥卯辰山健民公園の蓮の花

1895年、日本が植民地として領有した当時の台湾には、三大奇習と呼ばれた習俗がありました。男子の辮髪(べんぱつ、頭髪を一部を残して剃りあげ、残りを伸ばして三編みにし、後ろに垂らす髪型)、アヘン吸引、そして女子の纏足です。当時の台湾総督府の公文書類が近年公開されるようになり、学校教育・体育政策上では、とりわけ纏足対策が大きな課題であったことが明らかになってきました。公文書は、草・行書体の崩し字を伴う古い日本語で書かれており、加えて中国語ないし台湾先住民語も併用されているために、台湾と日本による専門家たちの共同研究の必要がありました。
 
現在、金沢星稜大学の姉妹校、台湾国立高尾師範大学(National Kaohsiung Normal University)准教授・金湘斌(ちん しゃんぴん)氏が、大学院生時に金沢に留学中、この課題に取り組み、私は指導教員として関わりました。その研究成果は、金湘斌・大久保英哲(2015)『纏足から天然足へー日本統治前期台湾における学校女子体育』不昧堂、として日本語でも刊行されています。本コラムもこれに拠っていますが、出典等は省きますので、興味のある方は本学図書館等でお読みください。
 
「台北庁第一統計書」によれば、1905年台北庁公学校(日本の小学校に相当)15校に通う女子児童585人中、纏足をしていないのはわずか54人、纏足者の割合は90.8%に上っていました。
これらの学校で女子児童たちにどのような体育を課すべきなのか。その任に当たったのが日本人教師たちでした。その一人に浜崎伝造という先生がいます。この浜崎伝造先生、纏足以上に怖いことをおっしゃっているのです。冒頭に申し上げた怖い話というのがそれです。何と、欧米女子のコルセット、中国女子の纏足、そして日本女子の跪座(正座)が、女性の生理的発育を阻害する世界の三大悪習だと断じているのです。
 
私はこれを見た時、心の底から驚きました。日本体育・教育史上、公の立場にある人間が、女子の正座を世界三大悪習と指弾した例を、国内では見たことがなかったのです。たしかに近代教育や体育では、机といすの使用が終始一貫しており、寺子屋のように座机を用いたり、授業で正座を強いられることは基本的にないのです。正座が学校教育に正式登場するのは、1911年に柔術・剣術が正課教材として認められ、その礼法として採用されて以後なのではないか。この仮説は私の次なる研究課題のひとつなのですが、もう残された時間及び気力・体力との闘いでもあります。
 
問題が深刻なほど、直截的な指摘や言及、対応は巧妙に回避されます。台湾の纏足も、通常は「足の状態」とか「異常状態の解消」とかいう一般名詞で取り扱われ、少しずつ段階を追って、解消に向けた取り組みがなされます。その様子は次回です。(続)