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活火山の鳴動

2022年11月01日 学長コラム

筆者撮影 紅葉の浅野川(もりの里)

若かりし頃、研究室の仲間たちと歴史理論をめぐって、素朴な論争を交わしたことがあります。歴史研究の目的は、歴史的事実の中から社会科学的な法則性を見出すことにあるのではないか。いや歴史は一回性の連続であるから、そのような法則性など見出せるはずがない。私は後者の立場に立つ側でした。

自然は春夏秋冬、昼と夜、月の満ち欠けを繰り返します。一回限りということはありません。だから自然の歴史を丹念にたどっても、それは気象台の日の出・日の入り、満潮・干潮の記録のようなもので、数百年とか数千年とかを単位として地球温暖化を研究する人には興味深い記録になるかもしれませんが、一般には「お話」(ヒストリー)としてはまことにつまらないものに映るでしょう。同じことの繰り返しでは「お話」にならないのです。

それに対して人間は自由ですから、自然ないし必然の連鎖を断ち切って自由に行為することができます。一見そのように見えるとしても、人間の行為は単純に繰り返されているのではなく、その時その都度の判断、決断の積み重ねだということになります。これを一回性(ドイツ語アインマーリッヒカイト、英語ではa one-time-only nature)といいます。もちろん人間といえども自然の中で暮らしますので、自然の繰り返しに合わせて生きていかなければなりません。しかし原則的に言えば、人間は自由ですから、その世界には何事が起こるか見当がつかないはずのものです。だから自然は繰り返しますが、人間世界の出来事はその都度一回きりだというものです。

阿蘇山の山腹に住む友人から、「噴火から1年」と題して、軽妙なタッチで近況報告がありました。「1年前の10月14日と20日に噴火したんだけど、1年後の今日、噴煙すら上がってないのは活火山としてどうなのよ、矜持はないのかと思ったりもするけれど。…1万年に1回噴火すれば活火山だそうなので、自然界からすれば人間の時間感覚なんぞ小さすぎて相手になんかできるかってことなんだな、きっと」。(猫だけ庵通信)

最近エーリッヒ・フロム(1941)『自由からの逃走』を再読する機会がありました。フロム(1900 - 1980)は、ドイツの社会心理学、精神分析、哲学者です。1930年代、多くの犠牲と高い代償を払い、旧社会の制約や束縛から解放されて、自由な民主主義社会になったはずのドイツの人々が、自由を投げ捨て、ヒットラー率いるファシズムの全体主義を選んだのはなぜだったのかを社会心理学的に明らかにしようとしたすごい本です。

フロム先生が言っていることを私流にまとめましょう。「自由は面倒だ、限界がある、思ったより幸せじゃない。…自由には刺すような痛み、耐え難い孤独感、痛烈な責任が伴う。人々はその現実に疲れ果て、自由を投げ捨て、ファシズムの権威に頼った」というものです。 2022年現在、ロシアのプーチン大統領がウクライナに軍事侵攻、これに対抗する形でゼレンスキー大統領が反撃し、戦火がやむ気配は一向に見えません。中国では習近平総書記(国家主席)の独裁体制が強化され、北朝鮮の軍事態勢強化と相まって、東アジアの平和や安定に不安定要因を加えています。イタリアにも極右といわれる首相が誕生、ドイツやヨーロッパ各国でも極右政党が躍進しています。ファシズムの鳴動は活火山のごとくです。

「人間は歴史によって作られるだけでなく、歴史もまた人間によって作られる。…社会心理学の仕事は人間の情熱や欲求や不安が…どのような社会過程を作り出すのかを示す。人間性は歴史的進化の所産ではあるが、ある種の固有なメカニズムと法則とを持っている」(フロム『自由からの逃走』pp.20-21)

私たちは1930年代の教訓を思い起こし、自由から逃走することなく、活火山ならぬ人間の弱さないし無関心や怠惰の果てに生じる暴発を未然に防がねばなりません。
参考文献
エーリッヒ・フロム(日高六郎訳)『自由からの逃走』、東京創元社、初版1951(107版1998)
川原栄峰『哲学入門以前』、南窓社、初版1967(18刷2003)