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学長メッセージ

経世済民

金沢星稜大学を含む学園は、1932(昭和7)年、初代理事長稲置繁男(1909-1992、享年83歳)によって設立された「北陸明正珠算簿記専修学校」に始まり、今年(2022)で創立90周年を迎えます。創立以来長い歴史を経て受け継いできた精神があります。それが建学の精神「誠実にして社会に役立つ人間の育成」です。

昭和初期、関東大震災(1923)、昭和金融恐慌(1927)などによって弱体化した日本経済は、世界恐慌(1929)の発生と金解禁の影響に直撃され、危機的状況に陥りました。株の暴落により、都市部では多くの会社が倒産し就職できない者や失業者があふれました(『大学は出たけれど』)。1932年には、五一五事件が発生、中国大陸では関東軍の画策によって満州国建国が宣言され、移民が開始されるなど、国内外とも混とんとする中で、ファシズムが台頭、政治的には不安定で暗い世相の時代でした。

こうした政治的な混迷の一方で、1932~33年頃から、日本経済は世界恐慌を脱して、経済が活況を見せ始め、GDPも上昇に転じます。金沢市内にも1930年「株式会社宮市大丸」デパート(現大和)(創業は1923)がオープン。映画館やカフェも賑わい、町は華やぎを見せます。人々は消費を楽しみ、またスポーツを謳歌する明るさも持ち始めました。「北陸明正珠算簿記専修学校」が生まれたのは、こうした暗さの中にも明るさが交錯し始めた時代だったということができます。

「北陸明正珠算簿記専修学校」は、活気を帯び始めた地域経済を担う人々にビジネスの基本を教える学び舎でした。算盤の珠をぱちぱちと弾けば、答えは自ずから明瞭です。正確な簿記には嘘がありません。「明瞭かつ正確」であり、人々が職業人として生計を立て、かつ北陸地域の発展にも役立ちたい。この「明正」に込められた建学の精神は、やがて「誠実にして社会に役立つ人間の育成」と定式化され、今日に至ります。(『稲置学園四十年史』)

1967(昭和42)年、金沢経済大学(経済学部経済学科)が開学。その年、学歌「白山の虚空を翔ける」が制定されました。2002(平成14)、金沢星稜大学と改称、人間科学部(2007)や人文学部(2016)を加えて現在に至りましたが、学歌は金沢星稜大学学歌として歌い継がれています。
学歌は、建学の精神を謳います。リフレインされる「経世(けいせい)こそは われらの思念(しねん)。済民(さいみん)こそは われらが願望(ねがい)」がその核心のフレーズです。

「経世済民」(けいせいさいみん)。縮めて「経済」。現在、「経済」は生産・消費・売買など、経済活動にかかわる学問、エコノミクスの訳語として、狭義に解されることが多いのですが、しかし元々「経世済民」は、中国の古典(王通『文中子』礼楽篇)に由来し、元来は「世を経(おさめ)て、民を済(すくう)」、政治や道徳哲学であったことは、広く知られています。

学歌の「経世済民」は、「世を誠実に生きていくこと、さらにそれがほかの人々や世の中に役立つことを願う」。すなわち「誠実にして社会に役立つ人間の育成」という意味です。経済学部はもとより、金沢星稜大学の全学部・学科に共通する教学の理念を高らかに謳い上げています。今改めてこの意味を嚙みしめたいと思います。

金沢星稜大学 学長 大久保 英哲 (OKUBO Hideaki)