学長コラム

「大地の麦」のオード

2025.06.01

ゴールデンウィークの金沢、初夏の風物詩、ガルガンチュア音楽祭。3日間にわたり鑑賞した10余の公演はいずれも素晴らしかったのですが、とりわけ心に残ったのは、「混声合唱とオーケストラのためのカンタータ『土の歌』」(1962年、大木惇夫作詞、佐藤眞作曲)でした。

この最後の第7楽章「大地讃頌」(だいちさんしょう)は「母なる大地の懐に 我ら人の子の喜びはある 大地を愛せよ 大地に生きる 人の子ら 人の子 その立つ土に感謝せよ」の歌詞で、中学校の卒業式などでもしばしば歌われる有名な合唱曲です。今回初めて第7楽章まで全曲を聞くことができました。第1楽章「農夫と土 」、 第2楽章「祖国の土」、 第3楽章「死の灰」 、 第4楽章「もぐらもち」、 第5楽章「天地の怒り」、 第6楽章「地上の祈り」、 第7楽章「大地讃頌」。つまり、自然の偉大さ、戦争や原爆の悲惨さ、人間の愚かさなどがあって、なおかつその上で大地を讃えるという構成。しかも今回、作曲者佐藤眞氏が自ら全曲のタクトを振るということもあり、県内はもとより神戸市混声合唱団など全国から名だたる合唱団員が賛助出演してくださったとのことでした。佐藤氏はご高齢ということもあって、当日はアンコールとして、第7楽章「大地讃頌」のみを指揮してくださったのですが、震度7の地震に揺さぶられ、土砂崩れや地割れ、家屋の倒壊におののき、あまつさえ津波に脅かされる能登の大地を、それでも「母なる大地を讃えよう」、「土に感謝しよう」と歌うこの合唱の荘厳な呼びかけに、会場全体の大きな拍手と感動の嵐が止むことがありませんでした。

私は「群青」を思い起こし、涙にくれていた一人です。「群青」は2011年東日本大震災で津波に襲われ、福島第一原発事故で半径20km圏内の警戒区域に指定されたことから、全国に散り散りになった福島県相馬市立小高中学校の生徒たちの声を歌詞に拾い、音楽の小田美樹先生が作曲した合唱曲。津波で亡くした友を想い、全国に散らばった仲間に「いつかまたこの小高の群青の海に集おう」と明るくも哀しく呼びかける歌です。津波を引き起こし、命を奪う非情な海。それでも嫌いになることのできない海。私には能登の大地、里山・里海と二重写しになります。
「土の歌」、演奏はベトナム国立交響楽団。「大地讃頌」をどう理解しているのだろうと当初は心配したのですが、ベトナムはつい50年前まで戦禍の地でした。ベトナム戦争です。1954年のジュネーブ協定によって南北に分断されたベトナムで戦いが勃発し、南ベトナムに肩入れしたアメリカ軍が北ベトナムを空爆するなど、戦禍はインドシナ半島全域に拡大。やがてアメリカ軍が1973年に撤退、1975年に北ベトナム軍がサイゴンを陥落させて、社会主義国として統一されるまで続いた20年を超える戦争でした。オーケストラは戦争への怒りと人間の愚かさを断罪しているかの強烈な迫力ある演奏でした。翌々日再びこのベトナム国立交響楽団の演奏を聞きにでかけましたが、今度は大河にたゆたうかのような一弦琴(ダン・バウ)の調べと、遠い故郷を想う哀愁を帯びた「糸つむぎの歌」など、豊かな大地を想わせる「故郷」に似た響きは能登の鎮魂と復興への静かな祈りそのもののように思われました。

金沢駅「もてなしドーム」地下広場に作られた「NOTOパビリオン」では、能登半島地震からの復興を願うステージが繰り広げられました。邦楽ホールでの「音楽のちからで復興応援、能登が開く伝統の扉」で演奏された「御陣乗太鼓」も芸術的で素晴らしかったのですが、駅のアナウンスやざわめきが日本海の波とも聞こえる簡易ステージでの「御陣乗太鼓」の乱れ打ちはいっそう心を打ちました。ステージの脇で、涙にくれながら見守っていた女性たちは、被災地輪島市名舟地区のご家族の皆さんだったのだろうと思います。

「土の歌」「群青」「花は咲く」。大災害の度に心に響く歌が生まれてきました。能登半島地震でも、池辺晉一郎「祈り、そして光-能登地震犠牲者の鎮魂として」、椿れい作詞、渡辺俊幸作曲「能登の翼」などがあるようです。「御陣乗太鼓」もその一つかもしれません。しかし、子どもから大人に至るまでみんなが歌える「やさしき能登」のような歌がもっとあったらいいなあとは思うのですが、楽譜を読めない私には土台無理な話。県内外の音楽家の皆さん、来年の「ガルガンチュア音楽祭2026」にはぜひともご披露いただきたいものです。

筆者撮影「大地の麦」のオード