学長コラム

「能登応援メッセージと学長コラム」

2025.02.01

北陸中日新聞社七尾支局長前口憲幸『能登半島記‐被災記者が記録した300日の肉声と景色』(未完)を手にしました。被災者であり、取材者でもある著者が様々な思いを抱えながら、現地レポートと写真をまとめ直して書籍化。被災者に寄り添った熱い思いが全国的に大きな共感と感動を呼び、重版出来とのことです。私も読むたびに切なくなり、幾たびか涙を流しました。前口さんには本学の「創造的復興論」講義、来年度も引き続きご担当いただく予定ですが、その折の講義の理解を深める意味でも事前に一読することをお薦めします。

さて本学では第4次中期計画(2024~2028)に「能登半島地震の創造的復興とともに歩む」と明記し、復興に関するさまざまな事業およびその支援へ向けて全学的に取り組んでいます。ゼミ、サークル、あるいは他大学と連携するなどなど様々なレベルでの学生・教職員による各種の支援事業、ボランティア派遣などが行われています。「創造的復興論」の開講も特筆すべき事業です。学長として関係の皆さんに敬意と感謝を表します。

昨年1月以来、学長コラムのほとんどを「能登応援メッセージ」としてきたのもそうした思いからですし、石川県知事の「能登駅伝復活」への取り組みにも可能な協力をしたいと考えています。ご存じない方が多いかもしれませんが、「能登駅伝」は稲置学園初代理事長稲置繁男氏が第5回大会(1972年)から第10回大会(1977年)に至るまで、大会会長として大会運営を全面的に支えてくださった歴史を持つ大会なのです。1992年稲置学園創立60周年記念事業として、ブルートラックやナイター設備を備えた、一学園の競技場としては稀にみる規模の稲置学園総合運動場が竣工したのも、陸上競技に力を注いだ初代理事長のリーダーシップのたまものでしょう。

復活「能登駅伝」が地元はもとより、全国の人々から支持・賛同を受けるには、その実施時期の見極めが重要かと思います。能登が大災害から立ち直り、創造的復興への明るい道筋が開けた頃を見計らい、「おかげさまでここまで立ち直りました」「立ち直りつつある能登の姿をぜひその目で見てください」と国内外に感謝の意を表し、人々を代表する形で力走する若者たちに沿道から声援を送る姿。全国の若者たちが、能登半島地震で亡くなられた方々の慰霊と鎮魂、被災者を激励しながら一歩ずつ能登の大地を踏みしめて走破する姿は、能登半島地震の創造的復興を象徴的に示すイベントになることでしょう。

スポーツと慰霊を結びつけることに違和感を持つ方もおられるかもしれませんが、近代オリンピックのモデルとされる古代ギリシャのオリンピア祭なども、元来は死者を悼む葬祭競技として始まったとする説もあります。もともと能登半島では、ユネスコ無形文化遺産にも登録された山・鉾・屋台行事「青柏祭でか山」・奥能登のあえのこと・能登のアマメハギ、キリコ祭りなど神事・祭礼が盛んな地であり、それらと能登駅伝のコラボもまた意味があるのではないでしょうか。

現在、能登半島の復旧・復興はまだまだ道半ばですが、全国的なニュースの頻度は減少し、関心が薄らぎ、風化が進んでいるとさえ言われます。本コラムでも引き続き折に触れ、「能登応援メッセージ」を発信したいと思いますが、学長として皆さんに伝えたいことはほかにもたくさんあります。

残りの予定された学長コラム執筆回数のテーマをどう配分するか、悩ましいところではありますが、仮に「能登応援メッセージ」ではなかったにしても、「能登半島地震の創造的復興とともに歩む」姿勢は変わるものではありません。前口さんが著書『能登半島記』に(未完)の文字を加えたように、大災害はまだまだ終わっていない、のですから。

筆者撮影「大寒・暁の神」(医王の杜公園・「協調」モニュメント)

引用・参考文献
前口憲幸『能登半島記‐被災記者が記録した300日の肉声と景色』(未完)、時事通信社、2025
大久保英哲(編著)『箱根駅伝を超えようとした幻の「能登駅伝」』能登印刷出版部、2019