学長コラム
卒論の季節
2022.12.01
例年、12月~1月は卒論提出の季節。学生の皆さんは大変に苦労しておられることと思います。大学における学びの集大成として、大変だったけれどもやり遂げた達成感は大きかったと振り返る学生さんたちをこれまでたくさん見てきました。そしてそれを指導してくださる先生方の労力も甚大です。様々な事情から、中には10数人の卒論指導を担当しておられる先生もおられるとか。これはもう超人的なエネルギーを要することでしょう。
本学では全ての学部・学科で卒業論文(研究)を必修としており、それが本学の知的水準を高めていることも間違いないと思われます。でも正直に申し上げますと、それらは厳密な意味で学術論文の水準をクリアーしているのだろうかとも思います。また先生方が費やすエネルギーをもっと他に有効活用できないものかとも思います。
卒業論文を含む学術論文というのは特殊な文章です。学術論文というのはそれぞれの学問分野の現在の到達水準である尾根ないし頂上に登り切って、その上に何か新しい発見や知見など小石一つでも積み重ねるという試みです。どんなに面白かろうが、奇抜であろうが、本尾根に出る前の森林地帯や支尾根の途中で右往左往していては、面白いエピソードであっても、厳密な意味では学術論文になりません。学術的に価値のある(オリジナリティといいます)の学術論文というのはそのようなきわめて特殊な条件をクリアーしたものを言います。
私は体育・スポーツ史という歴史学の一領域の専門家です。これまで10人以上の博士論文と20人を超える修士論文、それらの5倍くらいの卒論を指導してきました。学会誌の編集長や審査委員も経験しました。その際、私は概ね次のような手順で審査を行ってきました。まずテーマを見ます。①テーマは一見してその分野・内容を適切に表しているか、②論文全体の内容を総括したテーマであるか、③メインタイトルとサブタイトル(付されている場合)の関係は適切か、という点をチェックします。次に研究目的や方法といった内容に移ります。①先行研究検討に遺漏はないか、②先行研究の到達度を踏まえて新たな研究目的が設定されているか、③研究目的は達成できる範囲に設定されているか、④下位目的(課題)は適切か、⑤研究方法は目的を達成するために適合しているか、資料は適切に用いられ、解釈に間違いはないか、⑥先行研究のある問題を研究する場合、「その精度の向上」「その誤りの訂正」「欠落部分の補充」「別の視点からの見直し」のいずれを満たしているか、⑦得られた結論に問題はないか、⑧文章表現は一定水準に達しているか、などなどです。大事なことはその論文が尾根に到達しており、その尾根にどのような新しい知見をケルンとして加えているのかという論理性です。
このやり方は極めてオーソドックスなものですが、しかしややクラシック・ミュージックのような、古典的な趣があります。音楽にジャズ、ポップス、フォークソングなど様々なジャンルがあるように表現はもっと多様でよいのではないかと私は思います。
東大・京大も含めて多くの著名大学の法学部、経済学部、理学部などには卒論はないのだとか。あっても選択科目という大学も多いようです。様々複合的に存在している社会の諸現象の中から問題を発見し、解決可能なレベルで具体的に課題を設定し、それに取り組んで一定の結論を得るという作業には知の総合力が必要です。そのような論理的な思考力と文章を書くトレーニングには大きな意味があると思います。ですが卒業論文にこだわらずに、卒業研究(少し大きなレポート)、実践・実験・実習記録、卒業制作、卒業作品、卒業演奏など選択して学生の自由度を高めることが、大学の活性化や新たな文化や学問につながるかもしれません。
学生の皆さんどう思いますか。学習者本位の大学教育の在り方が問われています。皆さんの声が大学を変えるのですよ。
本学では全ての学部・学科で卒業論文(研究)を必修としており、それが本学の知的水準を高めていることも間違いないと思われます。でも正直に申し上げますと、それらは厳密な意味で学術論文の水準をクリアーしているのだろうかとも思います。また先生方が費やすエネルギーをもっと他に有効活用できないものかとも思います。
卒業論文を含む学術論文というのは特殊な文章です。学術論文というのはそれぞれの学問分野の現在の到達水準である尾根ないし頂上に登り切って、その上に何か新しい発見や知見など小石一つでも積み重ねるという試みです。どんなに面白かろうが、奇抜であろうが、本尾根に出る前の森林地帯や支尾根の途中で右往左往していては、面白いエピソードであっても、厳密な意味では学術論文になりません。学術的に価値のある(オリジナリティといいます)の学術論文というのはそのようなきわめて特殊な条件をクリアーしたものを言います。
私は体育・スポーツ史という歴史学の一領域の専門家です。これまで10人以上の博士論文と20人を超える修士論文、それらの5倍くらいの卒論を指導してきました。学会誌の編集長や審査委員も経験しました。その際、私は概ね次のような手順で審査を行ってきました。まずテーマを見ます。①テーマは一見してその分野・内容を適切に表しているか、②論文全体の内容を総括したテーマであるか、③メインタイトルとサブタイトル(付されている場合)の関係は適切か、という点をチェックします。次に研究目的や方法といった内容に移ります。①先行研究検討に遺漏はないか、②先行研究の到達度を踏まえて新たな研究目的が設定されているか、③研究目的は達成できる範囲に設定されているか、④下位目的(課題)は適切か、⑤研究方法は目的を達成するために適合しているか、資料は適切に用いられ、解釈に間違いはないか、⑥先行研究のある問題を研究する場合、「その精度の向上」「その誤りの訂正」「欠落部分の補充」「別の視点からの見直し」のいずれを満たしているか、⑦得られた結論に問題はないか、⑧文章表現は一定水準に達しているか、などなどです。大事なことはその論文が尾根に到達しており、その尾根にどのような新しい知見をケルンとして加えているのかという論理性です。
このやり方は極めてオーソドックスなものですが、しかしややクラシック・ミュージックのような、古典的な趣があります。音楽にジャズ、ポップス、フォークソングなど様々なジャンルがあるように表現はもっと多様でよいのではないかと私は思います。
東大・京大も含めて多くの著名大学の法学部、経済学部、理学部などには卒論はないのだとか。あっても選択科目という大学も多いようです。様々複合的に存在している社会の諸現象の中から問題を発見し、解決可能なレベルで具体的に課題を設定し、それに取り組んで一定の結論を得るという作業には知の総合力が必要です。そのような論理的な思考力と文章を書くトレーニングには大きな意味があると思います。ですが卒業論文にこだわらずに、卒業研究(少し大きなレポート)、実践・実験・実習記録、卒業制作、卒業作品、卒業演奏など選択して学生の自由度を高めることが、大学の活性化や新たな文化や学問につながるかもしれません。
学生の皆さんどう思いますか。学習者本位の大学教育の在り方が問われています。皆さんの声が大学を変えるのですよ。