学長コラム

「スコレー」

2023.05.01

英語Schoolの語源がギリシャ語のskhole(スコレー)「閑暇、ひま」に由来するということをお聞きになったことがあるかと思います。 古代ギリシャの都市国家(ポリス)では,成年男子市民のみが自由民として市民権を持ち、政治とポリスの防衛を主な任務としました。奴隷制でしたから、日常の生産や労働は奴隷に任せればよかったのでしょう。一方で政治も戦争もずっと忙しいというわけではなかったでしょうから、自由民というのは案外暇だったのではないでしょうか。アリストテレスは、人間の幸福論の中に閑暇(スコレー)を得ることこそが人生の目的としています。奴隷のように働きづめであることは幸福ではなかったのです。

面白いことに、古代ギリシャでは暇なギリシャ人たちが暇を持て余したとか、退屈しのぎにどこかにレジャーに出かけたという話はあまり聞きません。近代五輪のモデルとなった古代オリンピアの競技祭というのがありますが、あれは宗教的な行事でした。

暇、つまり働くことから免れた自由市民たちが三々五々集まって、日がな哲学・幾何学といった学問、音楽、体育などに明け暮れる場所が暇人たちの場所(スコレー)と呼ばれ、それがスクールの語源になりました。もっとも有名なのは、紀元前385年頃、プラトンがアテネの郊外に開いた学園アカデメイアでしょう。「ピタゴラスの定理」(三平方の定理)一つとっても、その水準は現代科学を基礎づけるほど高度だったのですが、地面や砂に描いた図形でよくぞ幾何学を考えたものです。そのことには「イデア論」という考え方を知らなければならないのですが、それはまたいずれ。

ところが、古代ローマの時代になると、人々はスクールではなくキルクスで催される娯楽に熱中するようになります。キルクス(ラテン語: Circus→英語:サーカス)から連想されるように、元来は円形の競技場のことです。競馬や猛獣対人間、はては人間同士の血なまぐさい戦いが行われ、人々はそれに熱狂したと言われます。当時のローマを「パンとサーカスの日々」と表現することがありますが、これは、古代ローマの市民たちが皇帝から無償で与えられる食糧と娯楽に夢中になって堕落していく様を揶揄したものと一般的には捉えられています。

つまり、暇(スコレー)を持つ古代ギリシャの人々は特権階級に過ぎなかった故にスクールとして活用できたのに対し、その層が拡大した古代ローマの社会では、人々はサーカスのようなレジャーで過ごすようになったということができるでしょう。ただし、古代ギリシャのスクールのほうが価値があり、古代ローマのキルクスが低いとだけ見るのは問題があります。

さて、現代の私たちです。私たちは古代ギリシャ・ローマ人以上に、暇(スコレー)を持つ人々の割合が高くなっているようです。文科省の調査では、2022年度日本における大学進学率は過去最高の56.6%に達したとのことです。高校を終えて、大人の社会人として働かねばならない社会的要請・必要性から免れているという意味で、大学というところは、最も暇な人々の集まる場所ということができます。世界やあるいは日本国内でも、家庭の事情、貧困や災害、戦争で大学教育など受けたくとも受けられない人々がいることを考えれば、私が決して茶化して言っているのではないとお分かりいただけると思います。

哲学者ハイデガーは、「空虚に放置されっぱなしの時、人は退屈する。すると人は娯楽に走ってこの空虚な時間を埋めようとする」と言っているそうです。この「空虚な時間」、ドイツ語原文ではLangeweile、ランゲヴァイレ、長い時間という意味です。暇(スコレー)よりは不気味な響きがありますね。川原先生は「退屈」と訳しておられます。小人閑居して不善を為す。この「退屈」からの逃亡は、単なる娯楽・レジャーにとどまらず、教育問題、少年非行問題、老人問題すべてにかかわってきます。これらは全て政治経済に直結するために、国をあげ、国家レベルでこれに対処しなければなりません。これを怠ると社会不安に陥るというのが川原先生のご指摘です。

さて、最も暇(スコレー)を持つ人々の集まる場所、大学。もちろん楽しく学生生活をエンジョイできるキルクス的条件も整えねばなりません。一方、学問の持つ面白さや醍醐味にとことん触れることで、アカデミアにふさわしい、空虚ではないスクール・ライフを味わうことができます。学生の皆さんも我々教職員もそのことの意味と重要性を今一度確認して、緊張感をもって日々の授業に臨みたいと思います。

筆者撮影 獲物を狙うアオサギの緊迫感(浅野川)

注及び参考文献
川原栄峰『ハイデガーの哲学と日本』1995、高野山大学
なお、ハイデガー(川原栄峰訳)『形而上学の根本諸概念』ハイデガー全集第29・30巻、創文社、1998を読んでみましたが、難解。本コラムは『ハイデガーの哲学と日本』(103-130ページ)に依拠しています。