学長コラム
野球害毒論争
2023.12.01
2023年11月、第54回明治神宮野球大会高校の部で、系列校・星稜高校がみごと優勝、日本一に輝きました。ご存じ元メジャーリーガーの松井秀喜さんが出場した1991年以来32年ぶり3回目の優勝だそうです。まことにおめでとうございます。
そこで、野球大好きの私から、お祝いに、現在の高校野球がさわやかイメージの象徴となるに至ったあるできごとについて紹介したいと思います。
それは明治44(1911)年8月から9月にかけて、22回にわたって「東京朝日新聞」に連載された「野球と其の害毒」キャンペーンでした。一般に「野球害毒論争」と呼ばれます。当時全国中等学校、高等学校のスポーツの花形となりつつあった野球を徹底して攻撃したこの特集は、野球界はもちろん、教育界にも一大センセーションを引き起こしました。
その第1回目は8月29日、第一高等学校(現東京大学)の新渡戸稲造校長の談話でした。
「(野球は)相手をペテンに掛かけよう、計略に陥れよう、ベースを盗もうなどと、目を四方八方に配り、神経を鋭くしてやる遊びである。故に米人には適するが、英人や独逸(ドイツ)人には決してできない。彼の英国の国技たるフットボールのように鼻が曲がっても顎骨が歪んでも球にかじりついているような勇敢な遊びは米人にはできぬ。野球は賤技なり、剛勇の気なし」「どこの学校の野球選手も剣道柔道の選手のように試合をするときに礼をつくさぬ。」
何ともすさまじいばかりの米国とその文化に対する偏見と蔑視発言で、現代なら問題発言となったでしょうが、当時日本を指導する保守的な知識人層の米国文化や外来スポーツ受容に対する態度といら立ちが現れています。分かり易く言えば、彼らは武士道の精神で西洋スポーツを受け入れていたのですが、野球はその受忍限度の中では限界点に近い位置づけだったのでしょう。あまつさえ日本の学生たちがそれに夢中になっている。腹に据えかねる。
「東京朝日新聞」は、最終連載(22回目)の8月19日、野球有害論の論点を5つにまとめています。①野球は多大の時間を必要とすること、②野球に熱中するあまり学業成績が不良であること、③選手は粗暴や虚栄に流れやすく、酒色にふけって、品性が劣悪に傾くこと、④近時流行している野球の応援のようなものも不真面目に陥る傾向があること、⑤野球は身体の発育に有害であること。
「東京朝日新聞」のこの野球害毒論に対抗して、ライバル紙の「東京日々新聞」、「読売新聞」、「国民新聞」などは、直ちに「野球擁護」キャンペーンを開始しました。これらの新聞は、早稲田・慶応両大学野球部関係者や、野球の教育的価値を主張した知識人を登場させ、「野球害毒論」を激しく批判しました。代表的な論客は、大隈重信早稲田大学総長、安部磯雄早稲田大学野球部長、鎌田栄吉慶応大学塾長、作家・押川春浪らの知識人などでした。大隈重信は言います。
「見たまえ、維新以来わが輩らの友人にて大事をなしたる者は、その当時乱暴者と称せらるる者で、一室に閉じこもって学問ばかりしておった者は何の役にも立たなかった…。文部省などは、学校が運動を奨励するために、学生がそれにばかり熱中して学問を忘れる、とたいへんに心配しているが、決してそんな心配は必要ない。運動をしすぎるよりは学問をしすぎる方がいけない。運動の弊害よりは学問の中毒の方が恐ろしい。」
野球擁護派は野球害毒論に一つ一つ反駁する論戦を挑み、さらにこれに対する反論が加えられ、日本中が白熱し、野球のようには容易に決着はつきません。新聞販売数が伸びて新聞各社は大喜び。そしてこの野球害毒論争は決着がつかぬまま、いつの間にか収束します。ただそれは消滅したのではなく、現在に至るまで大きな影響を与えます。
高校野球の礼儀正しく爽やかなイメージ、大谷翔平選手の親しみやすく華やかなイメージ、2023WBCクラシックで優勝した侍ジャパンが見せた粘り強さと品格あるスポーツマンシップ。これらは野球害毒論争の中で論点が明確となり、議論され、止揚された日本の野球文化の産物だということになります。礼儀正しく、全力を尽くし、対戦相手をリスペクトする。こうした姿は今や野球にとどまらず、世界のスポーツ文化の規範(Norm)となりつつあるように思います。
星稜高校ナインの皆さん、皆さんと皆さんの野球はその意味で歴史的な産物なのです。その栄光ある歴史を受け継ぎ、さらに発展させるのが皆さんに課された使命なのです。期待を込めて、もう一度、「おめでとうございます」。
そこで、野球大好きの私から、お祝いに、現在の高校野球がさわやかイメージの象徴となるに至ったあるできごとについて紹介したいと思います。
それは明治44(1911)年8月から9月にかけて、22回にわたって「東京朝日新聞」に連載された「野球と其の害毒」キャンペーンでした。一般に「野球害毒論争」と呼ばれます。当時全国中等学校、高等学校のスポーツの花形となりつつあった野球を徹底して攻撃したこの特集は、野球界はもちろん、教育界にも一大センセーションを引き起こしました。
その第1回目は8月29日、第一高等学校(現東京大学)の新渡戸稲造校長の談話でした。
「(野球は)相手をペテンに掛かけよう、計略に陥れよう、ベースを盗もうなどと、目を四方八方に配り、神経を鋭くしてやる遊びである。故に米人には適するが、英人や独逸(ドイツ)人には決してできない。彼の英国の国技たるフットボールのように鼻が曲がっても顎骨が歪んでも球にかじりついているような勇敢な遊びは米人にはできぬ。野球は賤技なり、剛勇の気なし」「どこの学校の野球選手も剣道柔道の選手のように試合をするときに礼をつくさぬ。」
何ともすさまじいばかりの米国とその文化に対する偏見と蔑視発言で、現代なら問題発言となったでしょうが、当時日本を指導する保守的な知識人層の米国文化や外来スポーツ受容に対する態度といら立ちが現れています。分かり易く言えば、彼らは武士道の精神で西洋スポーツを受け入れていたのですが、野球はその受忍限度の中では限界点に近い位置づけだったのでしょう。あまつさえ日本の学生たちがそれに夢中になっている。腹に据えかねる。
「東京朝日新聞」は、最終連載(22回目)の8月19日、野球有害論の論点を5つにまとめています。①野球は多大の時間を必要とすること、②野球に熱中するあまり学業成績が不良であること、③選手は粗暴や虚栄に流れやすく、酒色にふけって、品性が劣悪に傾くこと、④近時流行している野球の応援のようなものも不真面目に陥る傾向があること、⑤野球は身体の発育に有害であること。
「東京朝日新聞」のこの野球害毒論に対抗して、ライバル紙の「東京日々新聞」、「読売新聞」、「国民新聞」などは、直ちに「野球擁護」キャンペーンを開始しました。これらの新聞は、早稲田・慶応両大学野球部関係者や、野球の教育的価値を主張した知識人を登場させ、「野球害毒論」を激しく批判しました。代表的な論客は、大隈重信早稲田大学総長、安部磯雄早稲田大学野球部長、鎌田栄吉慶応大学塾長、作家・押川春浪らの知識人などでした。大隈重信は言います。
「見たまえ、維新以来わが輩らの友人にて大事をなしたる者は、その当時乱暴者と称せらるる者で、一室に閉じこもって学問ばかりしておった者は何の役にも立たなかった…。文部省などは、学校が運動を奨励するために、学生がそれにばかり熱中して学問を忘れる、とたいへんに心配しているが、決してそんな心配は必要ない。運動をしすぎるよりは学問をしすぎる方がいけない。運動の弊害よりは学問の中毒の方が恐ろしい。」
野球擁護派は野球害毒論に一つ一つ反駁する論戦を挑み、さらにこれに対する反論が加えられ、日本中が白熱し、野球のようには容易に決着はつきません。新聞販売数が伸びて新聞各社は大喜び。そしてこの野球害毒論争は決着がつかぬまま、いつの間にか収束します。ただそれは消滅したのではなく、現在に至るまで大きな影響を与えます。
高校野球の礼儀正しく爽やかなイメージ、大谷翔平選手の親しみやすく華やかなイメージ、2023WBCクラシックで優勝した侍ジャパンが見せた粘り強さと品格あるスポーツマンシップ。これらは野球害毒論争の中で論点が明確となり、議論され、止揚された日本の野球文化の産物だということになります。礼儀正しく、全力を尽くし、対戦相手をリスペクトする。こうした姿は今や野球にとどまらず、世界のスポーツ文化の規範(Norm)となりつつあるように思います。
星稜高校ナインの皆さん、皆さんと皆さんの野球はその意味で歴史的な産物なのです。その栄光ある歴史を受け継ぎ、さらに発展させるのが皆さんに課された使命なのです。期待を込めて、もう一度、「おめでとうございます」。
引用参考文献
「野球害毒論争」については多くの論文等があります。代表的な3つを示しておきます。
坂上康博『権力装置としてのスポーツ-帝国日本の国家戦略』、 講談社選書メチエ、1998
石坂友司『「野球害毒論争(1911年)」再考-「教育論争」としての可能性を手がかりとして-』スポーツ社会学研究(11)、2003
中村哲也『近代日本の中高等教育と学生野球の自治』一橋大学社会学研究科博士論文、2009年
「野球害毒論争」については多くの論文等があります。代表的な3つを示しておきます。
坂上康博『権力装置としてのスポーツ-帝国日本の国家戦略』、 講談社選書メチエ、1998
石坂友司『「野球害毒論争(1911年)」再考-「教育論争」としての可能性を手がかりとして-』スポーツ社会学研究(11)、2003
中村哲也『近代日本の中高等教育と学生野球の自治』一橋大学社会学研究科博士論文、2009年