学長コラム
能登応援メッセージ「歴史を未来へつなぐ奇跡の酒」
2024.09.01
本年1月1日の「能登半島地震」から、9か月目です。日中は陽射しが強いものの、朝の散歩で木陰に入ると秋の気配を感じます。今朝は栃の実をいくつか拾うことができました。見上げると確かに秋が実り始めています。
8月の終わり、夏休みを利用して能登町鵜川地区をひとりで訪れました。 能登町鵜川は静かな内浦の里海と豊かな里山に囲まれた静かで美しい町です。地震直後の1月、鵜川にある鶴野酒造さんのインスタグラムには、「家族は無事です。ご連絡をくださった皆様、誠にありがとうございました。家、店、酒蔵は、全壊しました。地震が落ち着きましたら、改めて詳細をご連絡させていただきます」と、「谷泉」の軒看板が辛うじて見える家屋の押しつぶされた全壊写真が掲載されておりました。このお知らせと全壊写真を当初私は涙なくして見ることはできませんでした。
あれから8か月。3月には全壊した鶴野酒造の酒蔵から酒米2000キログラム余りが救出されて、金沢市の福光屋さんに搬送され、蔵元の鶴野晋太郎さんと妹の杜氏・鶴野薫子さん、そして福光屋の蔵人さんたちが共同で醸造を行い、7月に新しい酒が無事に仕上がったとお聞きし、さっそく福光屋さんに出かけました。3種のお酒が仕上がったそうですが、私が入手したのは鶴野酒造さんの代表銘柄「谷泉」と福光屋さんの代表銘柄「加賀鳶」を一対一でブレンドした特別酒でした。ともに辛口でありながら、すっきりとした両者の味わいが一つに調和した新しい上品な味わいであり、ラベルも両者を左右に配されています。どちらかというと「谷泉」が若干目立つのも福光屋さんの奥ゆかしさを思わせ、印象深いと思いました。(ラベル:筆者撮影) 鶴野酒造さん、おめでとうございます。福光屋さん、ご立派な名望家ぶりです。この奇跡の酒を、襟を正して皆さんのご努力に敬意を表しながら味わわせていただきました。
この「谷泉×加賀鳶」の完成を心から喜び、3月の本学卒業式でも触れずにはおられなかった鶴野酒造さんがその後どうなっているのか、一度お見舞いを兼ねて現地を訪ねてみたいと思いました。もちろん私は鶴野酒造さんや福光屋さんとは何のゆかりもなく、「谷泉」はじめ日本酒好きの一人の県民にすぎません。行って何ができるということでもありません。それでも行ってみたいと思ったのです。
8月の終わり、鶴野酒造さんがあったとみられる能登町鵜川地区は、複数現場で公費解体の真っ最中でした。ナビが示す鶴野酒造さんの跡地はもうきれいに片付けられて更地になっておりました。どなたかに詳しく聞いてみたいとも思ったのですが、重機とトラックの作業に当たる工事関係者以外に人影が見えず、また狭い街路に車を止めておくのも作業の邪魔になるのではとはばかられたものですから、文字通り立ち寄っただけで帰途につかざるを得ませんでした。
そして、鶴野酒造さんはぜひここに自宅、店舗、酒蔵を再建して欲しいと思いました。何せ1789~1804年頃の創業だというのですから、もう歴史的な伝統産業です。今年の共同醸造で醸された酒は奇跡的に貴重で味わい深さも格別なのですが、それは歴史を未来につなぐ縁(よすが)として生かされるのであり、数年後には再びこの鵜川の地の「谷泉」として結実できるよう、ささやかながら応援したいと思わされたことでした。 また奥能登には11の被災酒造家さんたちがいらっしゃいます。それらの再建には、国や県の支援と私たちの強い意思表示が不可欠だと強く思いました。 本学では引き続き「能登半島の創造的復興」に努力してまいりたいと思います。
あれから8か月。3月には全壊した鶴野酒造の酒蔵から酒米2000キログラム余りが救出されて、金沢市の福光屋さんに搬送され、蔵元の鶴野晋太郎さんと妹の杜氏・鶴野薫子さん、そして福光屋の蔵人さんたちが共同で醸造を行い、7月に新しい酒が無事に仕上がったとお聞きし、さっそく福光屋さんに出かけました。3種のお酒が仕上がったそうですが、私が入手したのは鶴野酒造さんの代表銘柄「谷泉」と福光屋さんの代表銘柄「加賀鳶」を一対一でブレンドした特別酒でした。ともに辛口でありながら、すっきりとした両者の味わいが一つに調和した新しい上品な味わいであり、ラベルも両者を左右に配されています。どちらかというと「谷泉」が若干目立つのも福光屋さんの奥ゆかしさを思わせ、印象深いと思いました。(ラベル:筆者撮影) 鶴野酒造さん、おめでとうございます。福光屋さん、ご立派な名望家ぶりです。この奇跡の酒を、襟を正して皆さんのご努力に敬意を表しながら味わわせていただきました。
この「谷泉×加賀鳶」の完成を心から喜び、3月の本学卒業式でも触れずにはおられなかった鶴野酒造さんがその後どうなっているのか、一度お見舞いを兼ねて現地を訪ねてみたいと思いました。もちろん私は鶴野酒造さんや福光屋さんとは何のゆかりもなく、「谷泉」はじめ日本酒好きの一人の県民にすぎません。行って何ができるということでもありません。それでも行ってみたいと思ったのです。
8月の終わり、鶴野酒造さんがあったとみられる能登町鵜川地区は、複数現場で公費解体の真っ最中でした。ナビが示す鶴野酒造さんの跡地はもうきれいに片付けられて更地になっておりました。どなたかに詳しく聞いてみたいとも思ったのですが、重機とトラックの作業に当たる工事関係者以外に人影が見えず、また狭い街路に車を止めておくのも作業の邪魔になるのではとはばかられたものですから、文字通り立ち寄っただけで帰途につかざるを得ませんでした。
そして、鶴野酒造さんはぜひここに自宅、店舗、酒蔵を再建して欲しいと思いました。何せ1789~1804年頃の創業だというのですから、もう歴史的な伝統産業です。今年の共同醸造で醸された酒は奇跡的に貴重で味わい深さも格別なのですが、それは歴史を未来につなぐ縁(よすが)として生かされるのであり、数年後には再びこの鵜川の地の「谷泉」として結実できるよう、ささやかながら応援したいと思わされたことでした。 また奥能登には11の被災酒造家さんたちがいらっしゃいます。それらの再建には、国や県の支援と私たちの強い意思表示が不可欠だと強く思いました。 本学では引き続き「能登半島の創造的復興」に努力してまいりたいと思います。
参考
株式会社福光屋「鶴野酒造さんとの共同醸造 完成報告」、「こめから」2024 7/8月号(Vol.69)
株式会社福光屋「鶴野酒造さんとの共同醸造 完成報告」、「こめから」2024 7/8月号(Vol.69)