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【総合研究所】「能登駅伝」のこれまで・これからを収録
2024.12.26
本学学長、大久保英哲(編著)『箱根駅伝を越えようとした幻の能登駅伝』(能登印刷出版部、2019)は、大久保英哲学長はじめ計6名の金沢星稜大学教員が、昭和43年(1968年)から昭和52年(1977年)まで10回にわたって開催された「全日本大学選抜能登半島一周駅伝競走選手権大会」(通称能登駅伝)を歴史的に研究してまとめた唯一の出版物です。
この大会は富山県高岡市をスタート、当時の石川県庁(現在しいのき迎賓館)前をゴール(第3回以後)とする、3日間で26区間、341.6kmを走破する最大・最長の日本一過酷なレースで、「箱根駅伝」「伊勢駅伝」と並ぶ、日本学生三大駅伝の一つでした。
今、「能登半島地震」被災地の創造的復興策の一つとして「能登駅伝」の復活開催が話題に上っています。そこで当時、能登駅伝に携わり、またゆかりのある方々にお集まりいただき、「しいのき迎賓館」でゴール地点を眺めながら、「能登駅伝を語る」対談を行いました。
この大会は富山県高岡市をスタート、当時の石川県庁(現在しいのき迎賓館)前をゴール(第3回以後)とする、3日間で26区間、341.6kmを走破する最大・最長の日本一過酷なレースで、「箱根駅伝」「伊勢駅伝」と並ぶ、日本学生三大駅伝の一つでした。
今、「能登半島地震」被災地の創造的復興策の一つとして「能登駅伝」の復活開催が話題に上っています。そこで当時、能登駅伝に携わり、またゆかりのある方々にお集まりいただき、「しいのき迎賓館」でゴール地点を眺めながら、「能登駅伝を語る」対談を行いました。
プロフィール
親谷 均二 OYATANI Kinji
学校法人稲置学園陸上部総監督。旧柳田村(現能登町)出身で、学生時代には選手として4回、その後北信越チーム監督、役員として当時の能登駅伝に携わる「能登駅伝を最もよく知る、ミスター能登駅伝」。
学校法人稲置学園陸上部総監督。旧柳田村(現能登町)出身で、学生時代には選手として4回、その後北信越チーム監督、役員として当時の能登駅伝に携わる「能登駅伝を最もよく知る、ミスター能登駅伝」。
プロフィール
大森 重宜 OHMORI Shigenori
金沢星稜大学人間科学部教授。北信越学生陸上競技連盟会長。1984年ロサンゼルスオリンピック日本代表選手として、400m障害、4×400mリレーに出場。
「世界一足の速い神主」との異名をもち、大地主神社 宮司を務める。
金沢星稜大学人間科学部教授。北信越学生陸上競技連盟会長。1984年ロサンゼルスオリンピック日本代表選手として、400m障害、4×400mリレーに出場。
「世界一足の速い神主」との異名をもち、大地主神社 宮司を務める。