学長コラム
【学長コラム】「能登半島地震から2ヵ月」
2024.03.01
2024年1月1日悪夢のような「令和6年能登半島地震」からちょうど2ヵ月経ち、日の出も6時20分台と朝が早くなり、大学キャンパスの白梅も春を迎えています。
私は毎朝6時に杜の里の自宅から浅野川沿いの遊歩道を上流の朝霧台公園に向けて歩き始め、ちょうど1時間で往復します。昔、哲学者カントに憧れ、ケーニッヒスベルグの町の人々が、カント先生の日課となっている散歩の姿を認めて時計代わりにしたという話に訳もなく感動し、知性はそもそも無理でも散歩(と赤ワインの愛好)だったら、多少は真似できるかもしれないと、いつの間にか習性となった朝の散歩です。天候に左右されることはめったにありません(「学長室の窓から」2020.10.15参照)。
しかし、この1月から2月にかけては、コースを変えました。浅野川遊歩道ではなく幹線道路・山側環状線の歩道にしたのです。浅野川遊歩道が積雪で歩きにくいこと、さらに日の出前の暗闇で、足元が悪いせいもありました。しかし1月以来、朝6時過ぎから山側環状線をヘッドライトを点灯し、能登の被災地に向かう自衛隊や警察車両の長い車列を目にし、見送りたいと思ったのです。ご存じの通り、金沢市内の山側環状線傍には陸上自衛隊金沢駐屯地や石川県警警察学校・機動隊などの関連施設があります。おそらく全国から駆け付けた各地域からの派遣人員や車両の前進基地となっていたのでしょう。私は足を止め、「皆さんありがとうございます。能登をどうかお願いします。」と心の中で祈りながら、車列を見送るのが日課となりました。たまたま信号待ちで停止した車両から私の小さなヘッドランプがお辞儀をするしぐさが見えたのかもしれません。答礼してくださる隊員もおられました。
金沢星稜大学では1月以後、第4次中期計画(2024-2028)に「能登半島の創造的復興とともにあゆみ、地域創生に貢献する全学的な取り組みを推進する」目標を加え、復興に関するさまざまな事業およびその支援へ向けて全学的に取り組むこととしました。被災地に向かう緊急支援の車列が一段落した2月に入って、私たちの出番も期待されるようになりました。本学学生赤十字奉仕団が輪島市や穴水町で活動を開始。また加賀市、白山市、金沢市に避難している小中学生の学習・生活支援のほか、石川総合スポーツセンター内託児所における保育補助、石川県や能登の関係市町村ボランティアセンターとも連絡を取りながら、七尾市を中心とした3度の「災害ボランティア派遣」も行われました。これには延べ98名もの学生・教職員が参加しました。
自衛隊や警察、医療チームなどの緊急派遣が力強い鋼鉄のような強さだとすれば、金沢星稜大学の学生・教職員のボランティア派遣は、人としての温かさ・優しさと美しさに溢れています。今朝(2月28日)も、朝7時過ぎ、ボランティアに向かう大学バス2台を玄関口で笑顔のうちに送り出しました。被災した人々に自然体の若さと明るさを届けてくれると思います。でもどうぞ「ご安全に」。
能登半島地震は、過疎、人口減少、少子高齢化、産業の空洞化、伝統文化の喪失危機など、日本の地方が共通に抱える諸課題を10年早めて現出させてしまったように見えます。能登半島地域の「創造的復興」を成し遂げることは、したがって日本の将来を考え、創造することにほかなりません。その気概をもって教育と研究に取り組みましょう。
被災地の地元大学として、金沢星稜大学はこれからも中・長期的な見通しの下に地域の創造的復興を支える大学であり続けたいと思います。
私は毎朝6時に杜の里の自宅から浅野川沿いの遊歩道を上流の朝霧台公園に向けて歩き始め、ちょうど1時間で往復します。昔、哲学者カントに憧れ、ケーニッヒスベルグの町の人々が、カント先生の日課となっている散歩の姿を認めて時計代わりにしたという話に訳もなく感動し、知性はそもそも無理でも散歩(と赤ワインの愛好)だったら、多少は真似できるかもしれないと、いつの間にか習性となった朝の散歩です。天候に左右されることはめったにありません(「学長室の窓から」2020.10.15参照)。
しかし、この1月から2月にかけては、コースを変えました。浅野川遊歩道ではなく幹線道路・山側環状線の歩道にしたのです。浅野川遊歩道が積雪で歩きにくいこと、さらに日の出前の暗闇で、足元が悪いせいもありました。しかし1月以来、朝6時過ぎから山側環状線をヘッドライトを点灯し、能登の被災地に向かう自衛隊や警察車両の長い車列を目にし、見送りたいと思ったのです。ご存じの通り、金沢市内の山側環状線傍には陸上自衛隊金沢駐屯地や石川県警警察学校・機動隊などの関連施設があります。おそらく全国から駆け付けた各地域からの派遣人員や車両の前進基地となっていたのでしょう。私は足を止め、「皆さんありがとうございます。能登をどうかお願いします。」と心の中で祈りながら、車列を見送るのが日課となりました。たまたま信号待ちで停止した車両から私の小さなヘッドランプがお辞儀をするしぐさが見えたのかもしれません。答礼してくださる隊員もおられました。
金沢星稜大学では1月以後、第4次中期計画(2024-2028)に「能登半島の創造的復興とともにあゆみ、地域創生に貢献する全学的な取り組みを推進する」目標を加え、復興に関するさまざまな事業およびその支援へ向けて全学的に取り組むこととしました。被災地に向かう緊急支援の車列が一段落した2月に入って、私たちの出番も期待されるようになりました。本学学生赤十字奉仕団が輪島市や穴水町で活動を開始。また加賀市、白山市、金沢市に避難している小中学生の学習・生活支援のほか、石川総合スポーツセンター内託児所における保育補助、石川県や能登の関係市町村ボランティアセンターとも連絡を取りながら、七尾市を中心とした3度の「災害ボランティア派遣」も行われました。これには延べ98名もの学生・教職員が参加しました。
自衛隊や警察、医療チームなどの緊急派遣が力強い鋼鉄のような強さだとすれば、金沢星稜大学の学生・教職員のボランティア派遣は、人としての温かさ・優しさと美しさに溢れています。今朝(2月28日)も、朝7時過ぎ、ボランティアに向かう大学バス2台を玄関口で笑顔のうちに送り出しました。被災した人々に自然体の若さと明るさを届けてくれると思います。でもどうぞ「ご安全に」。
能登半島地震は、過疎、人口減少、少子高齢化、産業の空洞化、伝統文化の喪失危機など、日本の地方が共通に抱える諸課題を10年早めて現出させてしまったように見えます。能登半島地域の「創造的復興」を成し遂げることは、したがって日本の将来を考え、創造することにほかなりません。その気概をもって教育と研究に取り組みましょう。
被災地の地元大学として、金沢星稜大学はこれからも中・長期的な見通しの下に地域の創造的復興を支える大学であり続けたいと思います。